写真の向こう側

本日は長等神社

かの有名な三井寺の山道入口のすぐ近く

ウサギ神社としても今年が熱い三尾神社もすぐ隣

そして琵琶湖疏水も目の前すぐ

たぶん申年とか午年になれば、今年の三尾神社並ににぎわっているかもしれませんが

今のところは、そういった喧騒から遠く離れて静かな佇まい

nagarajinja.net

 

この本殿の右側が馬神神社

勝負事のパワースポットなんだそうです

そして本殿を年の数だけぐるぐる回ればそれだけ美しくなれるそうな

半世紀歳だといったいどれだけぐるぐる回らないかんのやろ

 

境内の一角には平忠度の歌碑があります

さざなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな

どうやら長等山の山上で作られたかでこの歌碑があるらしく、

皆が見られるようにこの境内にもあるということらしいです

かの平清盛の弟で、もうアカンと腹を決めて歌の師匠の藤原俊成のもとへ訪ねて

いろいろあって自分はもうアカンのはわかっているけど、最後のお願いがある

今度の和歌集に一句だけでもエエから載せてほしい

てなことで、選ばれた歌だそうです

さりとて、謀反人ということで名前を載せるわけにはいかなくて

一応「詠み人知らず」と仮名扱いですが、たぶん当時でも皆わかっていたと思います

 

昔は結構賑わっておいらもブイブイ言わせたもんやけど

今はもうすっかり荒れ果てて自分も落ちぶれた

でもあの頃の山桜はそのまんま、きれいなもんやな~

って感じでしょうか

 

 

振り返るまでもなく

かつての実家はすごく賑わっていました

母が始めた喫茶店は、田舎にあってすごく人気で、

定食も大人気で朝から晩までずっと忙しく

実際すごく儲けていたと思います

なんかの機関誌に掲載するとかで家の中の団欒風景の写真を撮られた記憶もありますし

当時の流行ものもなんだかんだと家にあったりしました

最新式のマウンテンバイクとかモンキーとかいうバイク

車は自分ちの車がどれかわからなくなるくらいコロコロ変わりました

ピアノはもちろんエレクトーン、足を踏んで走るスケボーみたいなやつとか

飛び跳ねるホッピングだったか、スキー板もあった

キャンプ用品もいろいろあったし

たぶん家の中にはなんでもあったのではないかと思います

しかしながらそれは、ほとんどが私自身には興味がないものばかりでした

悲しいかな私は運動音痴、そしてリズム音痴

ピアノは習っていたもののほとんどが不必要なものばかりでした

 

母は裁縫とかしていたこともあってファッションも好きだったようですが

私自身容姿コンプレックスがあって、おしゃれも興味なくて

買物に行くたびに、ほしいものはないかと聞かれて無いと答えて

ツマラン子ォやなとよくぼやかれたものです

 

今から思えば、母の好みに少しは乗っかってあげたらよかったなと思います

その分妹はおしゃれなどにも興味があって、母は嬉しそうでした

私自身は服なんて全く要らなかったけれど、

私が要らないというと自動的に妹の分もカットされてしまうので、

適当に安めでなるべく目立たないものを選ぶようにしてました

当時は、どうせどれ着ても似合うわけないと思っていました

なので目立たないように、シンプルなものが良かったけど

母はどうしてもワンポイントアクセントが欲しかったみたいで

せっかくつけたワッペンみたいなものを一生懸命に剝がしておりました

 

ちなみに今でもそういうアクセントは好きではなくて

 

中学生くらいの時、アイドルのバッジとか鞄につけるのもいまひとつ理解できなくて

まず、どんな男前でも写真がキモいといったら失礼だろうけど、

カッコつけている感じがどうしても違和感があって

ましてや。それをバッジにして周りに見せるってなんなん?って疑問に思っていました

なので、自分の写真となるともっとキモくて!

よく友達と写真に写して部屋に飾ってあるのも理解できなかったです

 

今は求められたら皆さんと同じフレームに収まりますしそれなりに笑顔は作れますが

それを自室に飾る、そんな心の強さはありません

一度、エエ笑顔の写真だから~と

親切心でわざわざ引き伸ばして写真を渡されたことがありますが

あの時はショックで気を失いそうだったけど、

彼女はそういう自分が写っている写真を

楽しかった記念として普通に家に飾れるタイプなんだなと即座に推察して

精一杯喜んでいるテイで受け取りましたが

なるべくよく見ないように折り込んで燃やしてしまいました

確かにとっても楽しかったのは間違いないし良い思い出で

彼女たちの笑顔は良かったので確かに良い写真だったけど

自分の顔もしかもアップで見るのは罰ゲームすぎる…

 

でも今書いているような駄文だとかは、何回も自分で読みたいんですよ

自分で書いて自分で読むのが楽しいというわけわからんことになっています

ブログの時代に生きていて本当に良かったと思います

なので、この平忠度の気持ちはすごくわかるんですよね

そりゃあ、文学センスは段違いで圧倒的に及びもつきませんが

死ぬのはエエ、まあしゃーない、でも歌は残したい、爪痕を残したかったのでしょうね

 

私の実家は今はまだ形としては存在はしているけれど

心の整理はもう十の昔に

祖母が亡くなった時点で、私の心の実家は無くなったと思っています

 

アルバムとかあるでしょうが、アルバムは私が見るものではなくて

本来は、親が振り返って懐かしむためにあるもの

もっと言えば私の記録ではあっても、振り返るのは親

その親がいないのであれば必要がないものだと思います

 

適当に処分しといて~って一応言うてあるけど

妹のことだからアルバムとか変に大事に残してあるのかも

なんや

「お姉ちゃん、お人形さんみたいに大事にされてる」とか言うてたし

それは言われるままの恰好にしていただけで

さらに言えば妹にもそれをするつもりが、

散髪ごっこでえらいことになってしまったから計画がなくなっただけ

あと好みの自己主張がハッキリしてたから母のセンスの隙間がなかっただけで!

 

そういや

甥っ子二号も何の私の黒歴史を見たのか

なんや変に期待されているようで

逢うのが怖いような恥ずかしいような

どうしたらいいのかわからないままですけども

とりあえず、夢をぶち壊しとかは避けたいなと