真冬の香木

 

今回は記事だけ入れてしまってから

手直し的にスマホから写真を挟んでいこうと思います

スマホから写真を取り込んだ方がやりやすそうなんで~

 

 
あんまり上手に写せてないけど~
込み合っている感じではないものの結構人がいたので
人がいない写真を選んだらなんか眩しいやつばっかり(笑)

 

というわけで今回は沙沙貴神社

いつものようにHPをぺたり

 

 

 

 

毎年二月に入る頃になると

地域の季節ニュースで蝋梅の話題になります

そんな時に関西圏で必ず報道されるのがこちら

 

 
 

 

でも行ってみるとほかの花々も有名なんです

とくになんじゃもんじゃの樹が有名かも

 

 

 
 

 

私は梅の香りが好きで

特に蝋梅の香りを感じると春を感じます

 

三大香木は

春の沈丁花

夏の梔子

秋の金木犀

なんですが

冬の蝋梅は三大には入らないものの

見逃せない冬の香木だと思います

 

例えていうならば

 

春の香木沈丁花は、見かけは地味ですが

香りは遠くからでも判ります

春の足音が聞こえてくるような

若々しさがあります

昔の少女漫画では髪の毛に絡まっておりましたね

フリフリのレースとか緩いウェーブの女の子かな

 

夏の梔子は、歌にもなっていますね

渡哲也が昔歌ってた

『梔子の白い花、お前のような花だった~♪』

って、たぶん地味派手ってやつではないかな~

香りも嫌味なくなんか気分良く

アレ?なんかエエ匂いがするなぁと気がつく

きっとひっそりしつつも綺麗な花

 

金木犀の香りはパッと華やぐ香りで誰もが振り向きます

ワテはここにおるで~ホラホラ~

って、キンキラキンに輝いてそう

きっと虎模様の服も着てそう

 

そして欄外の冬の香木、蝋梅は

和服がビシッと決まる綺麗な女将さん

周りも綺麗に掃き清められてピカピカで

キビキビ立ち働いて笑顔が素敵で

おはようございます〜って朝から気分良くなる感じ

 

 

せっかく色々書いてたのに

途中でタブをバッテンで消してしまって

あっという間に燃え尽きてしまった~

 

なんでも沙沙貴神社

あの乃木希典のご先祖様が関連するのだとかで

境内に案内の立て札もありました

 

乃木希典といえば

有名なところでは『日露戦争の英雄にして聖将』ですが

私自身は圧倒的に明治天皇崩御で『殉死』を思い起こします

そして愚将というイメージの方が色濃くあります

それはやはり『坂の上の雲』の影響もあると思います

完全なるノンフィクションではないのは知りつつも

どうもこの『殉死』という美学は理解が出来ないのです

 

 

時間は正午にしてありますが

おそらく月は冥王星天王星に緩く合で

海王星に対して正確に角度を取る感じだと思います

ちょっとここで追記

天王星冥王星月と合の場所に赤い印がありますが

月が海王星とほぼ正確に角度をとるのではないかという予測

このあとすぐ回収します

 

 

そもそも二人の息子を戦死したのも

兄はともかくも弟の方は

 

保典の戦死を知った乃木は、「よく戦死してくれた。これで世間に申し訳が立つ」と述べたという

ウイキペディアより

ということで

彼が父の『期待』に応えるには戦死しかなかったわけで

奥さんにしても、

本来は奥さんまで殉死の予定はなかったそうですが

夫に先立たれるにしても、順当に寿命を全うするなり

不慮の戦死や事故ならともかく

夫の『殉死』後に、安らかに過ごせるわけなどない

 

通常、夫に先立たれた奥さんは悲しみの後に

それなりに楽しく充実した余生を過ごすものでしょうが

静子さんにはそんな未来もなく

ましてや子供たちも先立たれて

世間を秤にかけたら

一緒に『殉死』をする選択肢しかなかったのだろうと

そんなことを思うと乃木希典

息子の気持ちも奥さんの気持ちもワカラン奴

自分の勝手ばかりの自己中心的な奴

私は思ってしまうのです

 

明治天皇にとっても

確かに

 

日露戦争で多くの兵士を死なせたことを明治天皇に詫びた際にも、乃木は自ら死んで責任を取ることを希望したが、明治天皇は乃木の心情に理解を示しながらも、今はまだ死ぬべき時ではないと乃木を窘め、どうしても死にたいのであれば自分が死んだ後にしてもらいたい旨を述べて、その場は乃木の自殺を押しとどめたという。

ウイキペディアより

ということはあっただろうけど

ホンマに自分が死んだ後に『殉死』するだなんて

望んでもいなかったでしょうにちゅうかきっと迷惑~

 

その明治天皇崩御大喪の礼が始まった

1912年9月13日午後7時40分

この時に乃木夫妻は殉死したそう

偶然でしょうが、

ホロスコープ見るとちょっとゾッとします

 

 

 

もちろん、そういう式典は

東洋の占星術とかで日程を擦り合わせたのだろうけど

冥王星って確か1930年に発見されたはずだよね

蟹座0度01って~

冥王星、知ってたん?

てか、乃木大将もわかって〜いるわけないか

 

ここで追記の回収

こちらのASCをご覧ください

たぶんこれだ~と思ったんですよ

月が牡羊座の可能性も勿論ありますが、私は牡牛座を推します

 

 

ちょっと詳しくはみてないけど

三回くらいは逆行で出たり入ったりしているはずですが

おそらく蟹座入り最初の一回目くらいかも

1913年~と書いてあるところもあったし

私が検索したところでは

1912年~1939年と書いてありました

まさに第二次世界大戦の足音が聞こえつつある時

 

もしかしたら乃木大将は限界を感じていたのかも

『殉死』した当時、

世間の大衆のイメージは

なんか良い感じとか好意的に受け取られていたものの

一部の進んだ感じの著名人からは

前近代的行為』と批判的な受け止め方だったそうで

 

同じく蟹座0度の時代を探してみると

1670年あたり

時は四代目家綱の時代

1663年に武家諸法度を発布し

併せて殉死の禁止を命じたとある

 

 

えっと~なんかの冗談でしょうか?

まあ、この場合はかなり時間差があるので

そこまで厳粛な感じはしないけど

時代背景は似た感じかもしれません

 

わざわざ禁止を命じたというからには

元からそういう世相にあるわけで

かの大戦中に『お国のために』とかいう風潮もありーの

蟹座の冥王星というとそういう世相になるものなのかも

 

生き恥をさらすくらいなら~という認識があったのでしょう

恥辱という言葉もありますね

でも罪を背負うのであれば生きてこそ

生きて責任を取るという方法もあるという意味で

明治天皇学習院院長に任命したのだと

 

人は誰しも多かれ少なかれ

何らかの負い目を抱えて生きているのかもしれません

あの時こうすればとか

 

後悔に目を背けないように

されど捕らわれないように

自分で自分を罰することなく

精いっぱい生きて行くことが償うことではないかなと

そして出来れば身の回りだけでも大切にする

それが求められるものなんだと

 

昔は家の前の掃除、ちょっとお隣までしたもんですよね

みんなで少しずつ掃き清められたら

みんなが幸せになれるんじゃないかなって

そしたらきっとエエことになるのではないかと