本日は、金神社になります
とはいえ、この神社は金運アップなどの『金』ではございません
ちょっと趣旨が違う
金運招福というならこちら
京都の御金神社
確か、今年の正月
八坂さんからブラブラと神泉苑へ向かっていた時だったか
もしくはその後に通りかかったような記憶が~定かではないけども
とにかく街中でなんだかすごい行列を見つけて
いったいあれは何だろうと検索したらば
御金神社と
やはりお参りしたら宝くじとか当たるとかいうものでしょうか?
なんか正月から生々しい欲を見た感じが~
もちろん私も、そりゃあ宝くじの〇が一杯あるやつに当たりたいものですけども~
ちなみに神泉苑はこちら
こちらは牧歌的ですごく雰囲気も良くて存分に楽しませてくれます
ああ!
いきなり話が脱線している!
今回は、滋賀県にある『金神社』なんですって!
なぜか一番詳しそうなHPを探したらこのようなHPが
やはりモノつくりという側面からブログに書かれたものでしょうか?
なかなかビシッと説明してくれるところがあまり見当たりません
色々探してみましたが、公的なHPとしましては近所の
かの昔
道西というお坊さんがおりまして
宗教上のゴタゴタがあってその蓮如上人が避難してきたのが善立寺という所で
上記のサイトによりますと蓮如上人の遺宝が保存されているそうな
この金森という町は元々は寺内町
この地で史上初の一向一揆、金森合戦が起こりました
その後
その関連なのかはわかりませんが、後にこの地に信長様の楽市楽座が置かれます
私は信長の楽市楽座って安土の城下町にしかないと思っていましたが
この金森以前に美濃国の加納にもあったそうです
安土はともかく、なぜ金森の地に楽市楽座が作られたか、
それはまだ明確ではないようです
ここまででまずは写真との戦いと、記憶の戦い(笑)
行った記憶はあってもいつだったか思い出せず、どこに写真があるのかも怪しく~
さらにはパソコンとの戦い
今回は、PC上でiPodの画像をある程度まとめて移動することと
番号をつけての保存するお勉強はできたけれども
そのデータは写真が重すぎるみたいで結局PCからは使えず
iPodからの下書き入力で写真を載せるというアナログ手法
とりあえずの目標は
写真にお絵描きしたり切ったり貼ったりカスタマイズできるスキルを身につけたいと
さて~いつもならばここで本題なんですが
ここでちょっと趣向を変えて、このブログの成り立ちについて
元はヤフーブログから始まったのですが、
ぼんやり放置しているうちに突然閉鎖すると聞いて
泡を食らって慌ててアメーバブログに移植しました
元々は閲覧目的のアカウントではあったんですけども
一日を争う慌ただしさで、日記をとにかく残すのを重視しました
それからもしばらくは閲覧使用のみで利用していたんですが
このところ、ふと、はてなブログでちょこちょこ書き出し
そこから日記の記録としての保存目的で
ほぼ同じ内容をアメーバブログにもコラボさせております
何にしろあのヤフーブログの苦い記憶がありまして
また突然閉鎖というのが~
突然のことだったので誰にもお知らせすることもできなかったのですが
ただただ自分のために日記を残しておきたくて
一応、私が生きているうちは
『私が』読み返す『思い出作り』のために利用しております
で、最近のブログの成り立ちなんですが
ヤフーブログ時代はまさに日記媒体なんですけども
アメーバ及びはてなブログは、
ほぼ趣味と大喜利の遊びを入れております
前説は滋賀の名所を紹介する~というネタ
そのネタを大喜利で別の話にすり替える遊び
そして写真の練習
さらに適当知識ではありますが
好きな歴史ネタや占いネタ時事ネタも入れております
雰囲気としては社会科の先生の脱線話を意識しております
ですので、タイミングとしてはブレイク
大半はここらで脱落してもらってもまあいいかというつもりです
後半はまさに自分が言いたいだけの話
ターボエンジン吹かせてただしゃべりたいことになります
自分的には三段仕込みと呼んでおります
しかし
これをリアルでやっちまうと周りが引きます
あるいは周りが赤べこみたいに頷いているだけ~というサブい状況になります
これがブログならそこは気にしないで好きなように呟けますから~
そんなわけで、やたらボリュームがありますが、
適度に好きなとこまででお気楽に目を滑らせていただければと
で~歴史に話を戻しまして~
学校では、信長様が比叡山焼き討ちにした、と今でも教えられていると思います
でも、ここで先生がはっきり言わないこと、あるいはあまり知らないことがあります
この時代のお坊さんは、結構なヤカラだったという事実
近年のお坊さんと言えばベンツに乗ってたり
案外優雅な暮らしをしているイメージでしょうが
本来のお坊さんというと、
欲を捨てて静謐で粗食で厳格なる規律の中で修行しているイメージ
でも昔のお坊さんの本当の姿というと、
弁慶みたいな僧兵をイメージするほうがしっくりします
そして、互いの教義を譲らず争いが絶えなかった~のを
おまいら~けんか、やめ~い!って感じで
信長様が外から水をぶっかけた~いや、火をつけたんやな
特にその聞き分けがないものに対して徹底的に焼き討ちをしたんですね
私は『平和』だとか『戦争反対』とか~
ちょっとエエ感じの言葉を多用する団体は恐ろしいと思います
ましてやその責任の矛先を勝手に神に委ねて
聖戦なんて恐ろしいことだと思います
されど人間というものはやはり弱いもので
平時であっても、宝くじ当たらんかな~と神様に祈ったりするし
辛い時こそ信心の先が無いと生きて行きにくいものだと思います
そういう意味では宗教というのは重要な役割はあるのでしょう
その考えで、信長様が神になろうとしたとされるならば
本当に懐が深いと言えるかも
相当深い優しさがある
なんなら、いわれのない逆怨みも全部引き受けたる~責任持つで~
という覚悟あってのことでしょう
あの有名な比叡山焼き討ちは、その後の日本人の宗教観を変えました
宗教上の争いは信長様の焼き討ちで根絶させられ
結果的に、政教分離という効果がありました
それを狙ったものかどうかは判りませんが、
その方が世の中を動かしやすいとは考えたことでしょう
ゆえに、
日本の宗教観は、他宗教に対して他の国ほど排他的ではない感性があります
最終的にキリスト教を禁じたのも外圧を回避するための政治的な理由で
実は宗教観についてそこまでは弾圧はしていなかったと思われます
一番懸念していたのは、宗教を糸口に他国から植民地にされること
聖戦という名のテロを内側から起こされて
属国にされるのを避けるのが一番の目的だったでしょう
金森という土地
あまり位置的に意味が判らないとされているのにもかかわらず
この地に楽市楽座が作られたのも
宗教色よりも資本主義の力を大きくしてバランスを変える目的と
さらには豊富な水があるという鉄鋼関連での利便性
すなわち鉄砲関連製造を考えたものではないかと
私は思います
あくまでここは自論です←ここ重要(笑)
現代において平和を語るうえで、
何かと武器を持つとか防衛に関して反対する団体はいますが
まず第一に『強さ』と『力』がないと平和には出来ない
少なくともかの昔、信長様は考えたのだと思います
個人的な人間関係においても同じことが言えます
「何を言っても大丈夫、あいつは『優しい』からな」
と思われているうちは、周りからの皺寄せをまともに受けるでしょうし
人よりも苦労をしなければならない事になります
「あいつは『ヤバい』間違ったら殺される~」
と思われるような人だとある程度の火の粉は避けられるでしょう
少なくともそこまで『ヤバい』人でなくても、
周りから怖いとか強いとか思われるのが大切なんですね
人に優しくあるためには一定の『強さ』が必要なのです
それが国であるならば、なおさら圧倒的な強さが求められる
そういう意味で防衛費はちゃんと運用されるべきだと私は思います
もしかしたら
力で制する時代はもう終わったのかもしれませんが
それに代わる何かがちゃんと機能するまでは力は保持するべきでしょう
そう意味だとしたら
凄い人だよな~
ポップな曲調だけど
ちなみに~
この歌の早口は言えません~
この時代の音楽で既にどれもこれも音も高けりゃ早口だし~
なんで最近の音楽はどれもこれも音はだんだん高くなって
どんどん一杯言葉が増えていくねん~!
さらに踊りまでややこしく
何のチャレンジをしているんだか
ついていけないのは昭和のオバハンやからか~?