興味と期待と願望の矛先

今回は龍光山雲住寺と勢多橋龍王宮秀郷社がメイン

まあ言うたら「瀬田の唐橋」と言ってもいいかもしれません

守備範囲としては雲住寺の範囲らしいですし

 

 

後ろの唐茶色の橋が唐橋の欄干

近江八景の一つで、唐橋ナメからの夕陽の図『勢多夕照』というのがありますが、

写真で撮ったら普通に逆行ですよね~

あれは実際に目にしての良い景色だと思います

写真よりは絵が最適かもしれません

 




otera.jodo.or.jp

 

相応しいwebを探したらここしかなくて

一応中味を引用抜粋

 

近江八景・瀬田の夕照で知られ、日本三大名橋の一つでもある瀬田の唐橋は欄干の美しい橋だ。都への要衡としてたびたび歴史の舞台に登場するこの橋の東詰めに、雲住寺はある
雲住寺が開かれたのは応永15年(1408)。初めは天台宗だったが、16世紀中頃に浄土宗となっている。
山門を入ると正面に本堂、そしてその左手に「百足(むかで)供養堂」と書かれた小さな六角堂が目にとまる。実はこれ、寺を開いた時の城主・蒲生高秀から逆上ること14代前の藤原秀郷(俵藤太=たわらとうた)により退治されたむかでの供養堂なのだ。
醍醐天皇の時代、俵藤太は勇名をとどろかした武将だった。あるとき勢多(瀬田)の橋に大蛇が出て往来をさまたげた。狩りの途中、橋を通った秀郷はこれをものともせずにその背中を渡って行く。すると突然、翁が秀郷の前に現れ、「私は橋の下にすむ龍神です。三上山を七巻半もする大むかでが出て、苦しめられています。ぜひ退治していただきたい」と言った。さて、秀郷は三本の矢を用意し、むかで退治に出た。二本の矢は次々に跳ね返された。そこで三本目には自分の唾をつけ、キリリと射ると、矢はついに眉間に突き刺さり、むかでは退治された。
蒲生高秀はこの地に寺を建立したわけで、以来、寺は瀬田の唐橋の守り寺となっている。寺にはむかで退治の縁起を刻んだ版木、また藤太ゆかりの太刀の鍔(つば)や、蕪矢(かぶらや)、鎗鉾先。また近江八景の版木などが残されている。
寺は多彩な行事で1年中、にぎわっている。定例の各年中法要は檀信徒の世話方、尼講、婦人会、年行司が中心となり盛大に。また、婦人会行事や詠唱、子供むけの第二土曜日のサタデースクールやガールスカウト。成人には仏教公開セミナーなどが開かれ、まさにお寺は心の拠り所として開放されている。
【交通】JR東海道線石山駅から草津行きバスで橋本下車。
(浄土宗新聞 平成8年3月号より)

 

そんなわけでお寺の中にはこんなものが

 

 

百足供養塔って!

まあ湿気が多いところでは百足が出やすいみたいですし

そりゃあ日本一の水ガメがすぐそこなんですから

他の地域よりも百足とかは出やすいでしょうね

ついでに虫もちゃんと供養されています

まあ~春と秋の風物詩で数週間ほどではありますが

毎年一円玉大の『びわこむし』も一杯発生しますし~

別に悪いこともしないのに凄く殺生されているから~

 

よくある形式として神社もコラボしてます

こちらが勢多橋龍王宮秀郷社

 

 

そして

以前に記事にしていた「急がば回れ」の瀬田の長橋というのがこの唐橋

 

 

下の方に並んでいるのは竹灯籠

なんや、最近増えすぎた竹の伐採などでのリデュースというやつらしい

竹って伸びるスピードが速いから

竹山持っている人が

「はよ、筍掘りにきて~もうあかん~」というSOSで

祖父に連れられていった記憶があります

七夕にはいくらでも竹持っていき~って

小さい一本でいいのにデカい一本用意されていたし

 

 

なかなかの絶景ですが、

こちらからは大百足が巻き付いたという三上山はたぶん見えていません

おそらくこの写真に向かって右のほうにあるのではないかと

でも今の時代は建物があるのできっと見えないのではないかな~?

 

 

こちらに大百足を嫌がった龍の化身のお姫様がいらっしゃいます

 

てか~龍というたら、

めちゃくちゃ強い全知全能の万能の神様みたいなもんで

怖いものなんて何もないと思われるのに

いくらデカすぎるとはいえ百足が怖いって!

お姫様だからそりゃ怖いでしょうが、

そこはやっぱり龍というからには

ちょっと火みたいなものをゴゴ~っと口から吐いたり

龍神というなら水を放水するとか

なんかをちょちょ~いとすれば、

なんでも一瞬で解決するようなイメージなんだけど

いくら神様とはいえ苦手なものもあるということなんでしょうか?

 

ふわっとした記憶なんですが

虫などに対する生理的嫌悪というのが、

いまひとつしっかり原因がはっきりしないそうなんです

 

だけど、そういう嫌いなものに対する話題というか、

喋るボキャブラリーって意外と豊富なんですよね

なんで嫌いかという根本はよく理解できてないのに

どれだけどのように嫌いなのか~意外と盛り上がる話題です

怪談話みたいにスリルがあるからでしょうか?

 

それと~

よくある話では、

小さい頃は虫が平気だったのに大人になってから苦手になる

そのへんはある程度理屈がついているようです

不衛生であるとかの知識が身についたとか

あの『G』なんかは典型ですよね

 

あと

田舎では虫がいても普通の風景だけど

街中で同じ虫を見たら途端に嫌悪感が涌いてくるようです

意識としては、

そこにあってはいけないと感じて違和感があるのでしょう

 

 

でも不思議なことがもうひとつ

嫌いな虫的な話や苦手な動物などは、やたらすごく語れるのに

好きなものに関しては意外とそこまでは語れない

 

なんとなくいい、かっこいい、歌がうまい、背が高い

なんとなく好き、髪の毛が長い、スタイルがいい、賢い、優しい

感じがいい、面白い、洗練されている、おしゃれ、物知り

綺麗である、ご飯がうまい、いい車に乗ってる

エエ匂いがする、走るのが速い、仕事ができる

好きなものを語ろうにも、

案外ボキャブラリーが底ついてしまいます

しかも嫌なものを語るほど具体的ではなくて、ふわっとしています

あれはいったいなぜなのでしょう?

 

例えば

美味しいものに関しては正解がある程度見えているので

エセ料理評論家とかエセソムリエみたいな口調になるでしょうが

なんとか言葉は繋げられる

 

でも自分だけが好きなものって

物の説明は出来ても、どう好きなのか何故好きなのか

好きであるのは間違いないけれど、言葉にならない

 

 

これをいったん

人を好きになるというパターンにシフトしてみると

もっとその人のことを知りたいというところに行きつきます

背の高さはいくつだとか、

誕生日はいつかとか好きな食べ物は?とか

 

ですので、

『好き』というのは知りたい何かを隠し持っているように思うのかも

 

見方を変えて

とある人が嫌いというパターンで考えてみる

 

ちょっと話題がそれますが

よくある間違い

『好き』の反対は『嫌い』ではないんですよね

『好き』の反対は『無関心』です

いやよいやよもすきのうち~ってこれはちょっと違うか

 

で~

話は戻りまして

とある人を嫌うというのは

おそらく、なんらかの期待を大きく裏切っているのではないかと

夫婦仲の問題でもよくありますが

お互い好き同士であったからこそ、

期待することが多くあって

それが残念ながら叶わなかったという、そこが問題点だったりします

 

それは親に対しても同様に

自分が思ったようにしてくれないという方面だと思います

 

たぶん「嫌いだ」と言いつつも、

そこには深い深い『願い』が込められているのです

 

ちゃんと自分と向き合ってくれるのをすごく期待をしているのです

 

 

まあ言うたらあの『G』だって

少なくともいきなり顔に向かって飛んでこなければもう少し冷静でいられるかも

悪い方面に予想外のことをされると『嫌い』になるのかも

 

もう少し話を広げまして、ファン心理にも突っ込みたいなと

 

実は私は青春期にテレビとはほぼ無縁だったのもあって、

アイドル関係のファンとか、アニメのキャラにハマった事がありません

スポーツ観戦も興味ないです

 

これもテレビのふわっとした聞きかじりですけども

自分に対してしっかりとした肯定感があると

誰かのファンになりやすいものなんだそうです

『推し』のファンである自分が好きなんですね

だからこそ、ファンのコミュニティで活動出来たりもする

きっと自分の『好き』を客観視もできるのかもしれない

 

長くとあるスポーツチームのファンだった方が、ある日突然

「もういいかなって思って~」とファンをやめていたのをみました

つまり、興味がなくなった、もう知りたいと思わなくなったということなんでしょう

 

まああれですよね

夫婦仲でいう倦怠期と似たものかも~

もうなんも期待しない

お互いキレている時がまだ救いがあるというか(笑)

 

そういえば、話題の犯罪者に接見するうちに魅入られて結婚したという話も聞きます

あれは~やっぱり謎めいているのが魅力なんでしょうか

もっともっと知りたい、その心が恋に成長させたのでしょうか?

 

 

昔話になりますが

実家で喫茶店を営んでいたころ

とあるお客さんが部下を連れてきたことがあります

とても精悍で清潔感があり、男っぷりも良かったのですが

店主である亡母が異様に気味悪がり、

なんかあったん?と首を出して見てみた私もなんか

なんか冷や水を背中にかけられたような

とにかく嫌な感じがしたのを覚えています

 

彼はその後二回くらい来店しました

彼は

勝田清孝

近畿で有名になったかの連続殺人犯

 

今でもあの感触は忘れられません

亡母も私もなにかしらの違和感を感じ取ったのかもしれません

 

 

確か、10代の頃、ものすごく好きだったんですよね

今は忘れていたけど

昔は何に期待して何を願っていたのでしょうか