水上の城

たぶん一体何の風景かなと思うかもしれないけど

今回はこちら

 

 

色々探してみたけどレポートで間違いないサイトはこれかな

 
 

 

 

 

 

 

こちらから

ちょっと写真をお借りして、ありし時代の想像図など

 

今回は、明智光秀がいたという坂本城跡にしてみました

 

 

年末から年始にかけて長く雨に恵まれなかったということで

琵琶湖の渇水が問題になっていました

おおよそ70㎝ほど低くなっていたそうです

 

こういう渇水は123㎝低くなったのが1994年30年前

上記のレポートの時は2021年くらいではないでしょうか

確か2000年と2002年も渇水の報道の記憶はありますが

プライベートで忙しい時期で身動きが取れず

ということで

もはや次回の渇水はこの先20年後ぐらいというと

もしかしたら旦那や私の生死が微妙かもしれませんので

思い切って出かけることにしました

 

 

こちらは坂本城跡の公園ですが、本来は水上のお城

もちろんお城の敷地そのものは広いため

このへんも確かにお城跡で間違いがないのですけども

今回紹介するのはここではなくて

この写真の真ん中のズズイッと奥

こちらです

 

 

黄色と黒のロープが張ってあるこの石ころだらけのこちら

普段は琵琶湖に沈んでいる坂本城の石垣←こういう言い方でエエかな

 

キーエンスの保養所と思われる建物の裏手にひっそりあります

桟橋みたいなものはそのキーエンスの設備だったみたい

 

ここへ来るには私有地なのかなと思われるような

20㎝ほどの細い農道を抜けて

葦なのか草をかき分けた先にあります

キーエンスの保養所を回り込む感じ

 

 

奥に元保養所らしきものが見えますがその手前

この細い農道の左側に、

案内用のボロい棒切れの看板があります

 

思い切り車が往来する国道みたいな道路から入るので

少々怖いというか、落差がエキセントリックというか

 

 

道路側からも撮影

車がビュンビュンでこれ以上後ろに下がれません(笑)

 

 

この先を真っ直ぐ葦や草木をかき分けると

案内看板が落ちてる

 

 

先ほど細い農道にあったものと同じものなので

一応この方向で間違いないとは思うけど←一体どっちや?

 

到着したら賽の河原みたいな場所でかろうじて

黒と黄色のロープが張られているからわかるけれど

ロープが無かったら石を気軽に動かしてしまいそう

なので、注意喚起の看板はちゃんと立ってます

 

 

1994年の渇水の時は石垣の下の方まで確認できたそうですが

今回はそこまでは見られず~

 

しかし思い起こせば、

この翌年に阪神淡路大震災があったと思うと

もうそんなに年月が過ぎたかと

 

 

完全に話題が変わってしまいますが

近頃、脳内で

とある音楽がエンドレスでリプレイされております

 

よくサッカーで鳴っているアレ

アイーダ

 

 

 

うまく貼れたかな~?

この3:55あたりの間奏部分で

あくまで個人的なイメージなんですが

十字軍のジャンヌダルクが出てきます

愛の十字軍

 

しかし

曲としてはキリスト教とはまったく関係ないんですよね

確か舞台はファラオ時代のエジプトとエチオピアのはず

判ってはいるのですがどうしてもイメージが剝がれなくて

あのサッカーでの旗振る姿とシンクロして

間違ったイメージを厚塗りしております

 

私が学生時代の頃は、まずは野球が一番のスポーツで

サッカーと言えば、

当時『キャプテン翼』というところまでが精いっぱい

昨今のサッカーの認識とは打って変わって

サッカーといえばマイナースポーツの一つでした

ほぼ同年代の三浦知良が華やかに登場するまでは

なんだか寒い場所で頑張っているスポーツでした

 

確か奈良の国体で奈良県内の学校は

期間中に国体へ観戦に行かねばならない

という縛りがあって

冬に近い時期にサッカー観戦をした覚えがあります

 

私はまったく運動にはするのも見るのも興味がなく、

人気のスポーツの野球の枠は瞬く間に埋まり

寒くないというだけのために選択しようとした体操も

当時オリンピックで沸いたというのもあって席がなく

バスケットも館内ということでそこそこ人気があり

あぶれてしまって、観客がいないという依頼があって

しかたなくサッカー観戦することになったのですが

ルールは判るもんの、そんなに頻繁に点数が入るわけもなく

ただただ寒いという感想しかありませんでした

点数入ったら終わりとかではなく時間が決まっていて

ほぼ二時間は吹き晒しかと絶望していた覚えが

『陸上とか選んだらサクサク競技が進んで早かったかな』

とかまったく失礼なことをボヤいておりました

 

思い起こせばこの数年後の阪神淡路大震災の前年くらいには

サッカーはマイナースポーツではなく

華やかな競技になっていたので

もしかしたら

この時ブツブツ文句言いながら見ていた試合で

後のJリーガーが活躍していたのかも

 

とはいえ、当初のJリーガーといえども

トップ選手ならばともかく、

当時、普通の選手はそれほど年俸も良くはなく

四年ほど年下のサッカーで大学進学したという知人は

おそらく望めば問題なくJリーガーにはなれるけれども

年俸も期待できないし長く選手の前線にいられるはずもない

ということで、

サッカーとは関係のない企業に入社しておりました

 

そういえば、冥王星がいて座に入ったのもこれくらいの時期

1995年でしたね

阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があり

少し前にはバブルも完全に崩壊して

このいて座時代も2008年、

あのリーマンショックの頃に終わりを告げ

やぎ座時代を謳歌

さらには現在コロナパンデミックの後、

冥王星みずがめ座時代がやってこようとしています

そういえば、冒頭の坂本城

冥王星うお座の時期に建てられ,

廃城となったのは牡羊座冥王星がある頃

定石では、

冥王星の発見の時代から冥王星の解釈を採用する

とのことですが

一応ざっくり確かめてみると

信長様が台頭してきた室町幕府が崩壊した頃に

冥王星牡羊座に入ってきてます

 

思うに明智光秀の過ちは、

この新しい冥王星牡羊座についていけなかったからではないかと

無論当時冥王星なんて存在すら分からなかったのだから

判るすべもなかったでしょうが

少なくとも社会情勢を見ると、今は昔ではないと判りうる

一番の目安が目の前にいたのではないかと

かの信長様が!

 

当時の明智光秀の判断はおそらく既存の考えでは正義正論ではなかったかと

例えば、やはり足利義昭を中央に収めるべきであるとか

当時の正義

現代から見れば、状況からしてそれはもう『ナイ』んじゃないかなとは思うかもですが

当時の常識からすると当たり前の定石を打ったはずなんですよね

無論常識的な行動をしたはずだから間違いではない

だからこそついてくるものはいるはずだろうし

当時分厚いと信じていた朝廷サイドの力や

大きく頼りにできると思っていたキリスト関係などの外圧

順風満帆だと信じていたはず

それが通用しなかったばかりか、

ついてくるものが誰もいなかった

 

つまるところ

常識に囚われていて潮目を見誤ったというところでしょうか

 

私自身

いわゆる『平和』とか『正義』とか

心地よく響く言葉全般に不信感があります

というか、そういう文言を振りかざす人に

本当に平和的な方はいないと思っております

宗教なんかがそういう文言で溢れていますが

なんや『正義』のため『平和』のため

神様に勝手に責任を押し付けて酷いことをするイメージ

『自由』という文言も微妙

『常識』も人を傷つけると思う

そして誰も幸せには出来ない

そもそも『幸福』という文言もあやふやだと思う

 

本来ならば歓迎できる思想であるはずが

どこからかがおかしくなって

手段のためなら目的を選ばないという逆の理論になる

そして追いかければ追いかけるほど遠ざかる

不思議な思想だと思うのです

 

目的が思想であるとそれは崩壊していく

 

まさに広く開かれた大きな門が間違いで

狭く判りにくく茨だらけの門が正解の門

明智光秀の過ちはそういうとこやねん

 

今まさに冥王星みずがめ座の時代がやってくるということで

おそらく、今までの常識とはかけ離れた事態があるのではないかと予想しております

そしてみずがめ座といえば

まさに『平和』『平等』『博愛』など

私が不信感を持つ不思議な思想の時代でもあります

前回のみずがめ座時代は独立戦争やらフランス革命とか

『自由』をスローガンなイメージですね

もはや既に始まっているのかもな~

日本での前回は田沼意次の時代だったので、

様々なものが飽和状態になるものなのかなとも

加えて言えば天災が多くあった時期でもあって混乱が多かったと思います

やはり地震は多いかもしれない←あくまで私の予測です

 

そして

本当の新しい時代は

そのずっと後うお座から牡羊座へ移行する頃

私はその時代を目撃することは叶うものでしょうか?

水上の城の主は新しい時代は見たかったでしょうか

うん、たぶん理解できない時代には生きたくないとは考えるものなのかも