IFの時点で具現化はする

今回はほぼノープランで適当に

旧伊庭家住宅

先日沙々貴神社へ行った時に近くにあったもの

いわゆるヴォーリズ建築になります

以前近江八幡八幡山へ行った時にたまたま立ち寄ったのが

一柳記念館 ヴォーリズ記念館 

現在、入れるのかどうか

そもそも開店(?)しているのかどうか~???

訪れたのが、コロナよりもずっと以前なので判りません

 

当時、予約もしていないし外観だけでも~ウロッとしていたら、

良かったらどうぞと案内されて五百円払って

たぶん一時間くらいの、しっかりした説明(ほぼ講義)を受講しまして(~_~;)

こういうプチファイルを貰いました

いや。ちょっとだけ内装を見てみたかっただけが

思いがけない展開で

肝心の写真を撮り忘れたという~

 

以前話題になった、豊郷小学校 

toyosato-elschool.net

アニメでの学校校舎なんかもこの建築になります

映画「けいおん!」【TBSオンデマンド】

そういえば、 あの当時の豊郷の町長さんの大野和三郎氏

校舎取り壊しの騒動渦中でゴタゴタしてはりましたが、

やはり仕事はきっちりという評価があったのか危なげもなく再選を果たしてはります

 

単にアニメで話題になっているという認識がなかっただけで

そのアニメという大本の認識も、あの年齢域で理解も難しいかも

 

私にしても 漫画見過ぎたらアホになるだとか

散々ダメ出し食らったものですが

今やアニメといえば日本を代表する文化ですし

大学でも専門分野が存在しますよね

しかし 歳を取るとそういう新しい価値観のアップデートが難しくなってきます

 

 

で、今話題の、『もしトラ』の話題なんですよ

もうすぐトランプさんのMCに木星が来るので

ホンマに「ある」かもしれません

 

実は私は2017年の時から「もしトラ」を予言しておりました

てか、その時には在位してはいましたが

もしも選挙で敗れて大統領でなくなっても

たぶん再選はするだろうなと思っていた根拠があります

 

日食データに関しましてこちらのブログを参考にさせてもらいました

ホ◻︎スコープ研究所 相原あすか「星占いとドラゴンの道案内」

ameblo.jp

転載元の紹介ってこういうことでよかったかなぁ?

こちらの2017年8月17日の日食の太陽と月の位置に注目~

もちろん一度以内というのが理想ではあるでしょうが

概ねトランプさんのACと火星に合と言っても良いと思います

ちょうどこの時 私の火星がこの日食とかなり正確な合になっておりまして

この時期、

かなりブチ切れた(しかもあまり褒められた価値観ではない感情で)経緯がありまして

トランプさんも火星も結構厳しいだろうなと

ただ、ACにヒットするという経験は今まで無かったので

想定外ではありますが

教科書通りに判断するとなりますと

その日食が観測できた地域と観られた時間の長さに関係する

ということで 首都であるワシントンで作成すると

どうやらバッチリ 観られたはず

だとすると、

トランプさんに不利な状況になる←火星 からのACとなるでしょうから

予測として復帰はあるんじゃないかなと

で、現在「もしトラ」の雰囲気になってきて(笑)

私は結構盛り上がっております

 

ですが~

私の手計算ではハーフサムの感受点である土星海王星がしし座の29度あたり

ハーフサムによりますと病気軸に当たります

おそらくどちらかというと2017年の日食は、

本人の病気というより

世界的な流行病によって政治生命の終止符が打たれたのだと理解します

ですので、今回木星天王星を伴ってMCへやってきますが

位置としては起死回生のチャンスであると同時に

ほどなくしてハーフサムの病気軸の90度にもかかるわけで

これが木星的に拡大するか天王星的に突然何かが変わるか

私はポジティブに判断したいと思います

 

あの豊郷小学校もまさか残せるとは思っていなかったから

私もまた前の時代の古い人間なのかもな~

世の中が動く時ってまさかと期待が混じるものですよね

最悪の状況はなるべく回避したいと願うし

ましてや良い方面は無意識で何とかしたいと集合意識で思うものなのかも

真冬の香木

 

今回は記事だけ入れてしまってから

手直し的にスマホから写真を挟んでいこうと思います

スマホから写真を取り込んだ方がやりやすそうなんで~

 

 
あんまり上手に写せてないけど~
込み合っている感じではないものの結構人がいたので
人がいない写真を選んだらなんか眩しいやつばっかり(笑)

 

というわけで今回は沙沙貴神社

いつものようにHPをぺたり

 

 

 

 

毎年二月に入る頃になると

地域の季節ニュースで蝋梅の話題になります

そんな時に関西圏で必ず報道されるのがこちら

 

 
 

 

でも行ってみるとほかの花々も有名なんです

とくになんじゃもんじゃの樹が有名かも

 

 

 
 

 

私は梅の香りが好きで

特に蝋梅の香りを感じると春を感じます

 

三大香木は

春の沈丁花

夏の梔子

秋の金木犀

なんですが

冬の蝋梅は三大には入らないものの

見逃せない冬の香木だと思います

 

例えていうならば

 

春の香木沈丁花は、見かけは地味ですが

香りは遠くからでも判ります

春の足音が聞こえてくるような

若々しさがあります

昔の少女漫画では髪の毛に絡まっておりましたね

フリフリのレースとか緩いウェーブの女の子かな

 

夏の梔子は、歌にもなっていますね

渡哲也が昔歌ってた

『梔子の白い花、お前のような花だった~♪』

って、たぶん地味派手ってやつではないかな~

香りも嫌味なくなんか気分良く

アレ?なんかエエ匂いがするなぁと気がつく

きっとひっそりしつつも綺麗な花

 

金木犀の香りはパッと華やぐ香りで誰もが振り向きます

ワテはここにおるで~ホラホラ~

って、キンキラキンに輝いてそう

きっと虎模様の服も着てそう

 

そして欄外の冬の香木、蝋梅は

和服がビシッと決まる綺麗な女将さん

周りも綺麗に掃き清められてピカピカで

キビキビ立ち働いて笑顔が素敵で

おはようございます〜って朝から気分良くなる感じ

 

 

せっかく色々書いてたのに

途中でタブをバッテンで消してしまって

あっという間に燃え尽きてしまった~

 

なんでも沙沙貴神社

あの乃木希典のご先祖様が関連するのだとかで

境内に案内の立て札もありました

 

乃木希典といえば

有名なところでは『日露戦争の英雄にして聖将』ですが

私自身は圧倒的に明治天皇崩御で『殉死』を思い起こします

そして愚将というイメージの方が色濃くあります

それはやはり『坂の上の雲』の影響もあると思います

完全なるノンフィクションではないのは知りつつも

どうもこの『殉死』という美学は理解が出来ないのです

 

 

時間は正午にしてありますが

おそらく月は冥王星天王星に緩く合で

海王星に対して正確に角度を取る感じだと思います

ちょっとここで追記

天王星冥王星月と合の場所に赤い印がありますが

月が海王星とほぼ正確に角度をとるのではないかという予測

このあとすぐ回収します

 

 

そもそも二人の息子を戦死したのも

兄はともかくも弟の方は

 

保典の戦死を知った乃木は、「よく戦死してくれた。これで世間に申し訳が立つ」と述べたという

ウイキペディアより

ということで

彼が父の『期待』に応えるには戦死しかなかったわけで

奥さんにしても、

本来は奥さんまで殉死の予定はなかったそうですが

夫に先立たれるにしても、順当に寿命を全うするなり

不慮の戦死や事故ならともかく

夫の『殉死』後に、安らかに過ごせるわけなどない

 

通常、夫に先立たれた奥さんは悲しみの後に

それなりに楽しく充実した余生を過ごすものでしょうが

静子さんにはそんな未来もなく

ましてや子供たちも先立たれて

世間を秤にかけたら

一緒に『殉死』をする選択肢しかなかったのだろうと

そんなことを思うと乃木希典

息子の気持ちも奥さんの気持ちもワカラン奴

自分の勝手ばかりの自己中心的な奴

私は思ってしまうのです

 

明治天皇にとっても

確かに

 

日露戦争で多くの兵士を死なせたことを明治天皇に詫びた際にも、乃木は自ら死んで責任を取ることを希望したが、明治天皇は乃木の心情に理解を示しながらも、今はまだ死ぬべき時ではないと乃木を窘め、どうしても死にたいのであれば自分が死んだ後にしてもらいたい旨を述べて、その場は乃木の自殺を押しとどめたという。

ウイキペディアより

ということはあっただろうけど

ホンマに自分が死んだ後に『殉死』するだなんて

望んでもいなかったでしょうにちゅうかきっと迷惑~

 

その明治天皇崩御大喪の礼が始まった

1912年9月13日午後7時40分

この時に乃木夫妻は殉死したそう

偶然でしょうが、

ホロスコープ見るとちょっとゾッとします

 

 

 

もちろん、そういう式典は

東洋の占星術とかで日程を擦り合わせたのだろうけど

冥王星って確か1930年に発見されたはずだよね

蟹座0度01って~

冥王星、知ってたん?

てか、乃木大将もわかって〜いるわけないか

 

ここで追記の回収

こちらのASCをご覧ください

たぶんこれだ~と思ったんですよ

月が牡羊座の可能性も勿論ありますが、私は牡牛座を推します

 

 

ちょっと詳しくはみてないけど

三回くらいは逆行で出たり入ったりしているはずですが

おそらく蟹座入り最初の一回目くらいかも

1913年~と書いてあるところもあったし

私が検索したところでは

1912年~1939年と書いてありました

まさに第二次世界大戦の足音が聞こえつつある時

 

もしかしたら乃木大将は限界を感じていたのかも

『殉死』した当時、

世間の大衆のイメージは

なんか良い感じとか好意的に受け取られていたものの

一部の進んだ感じの著名人からは

前近代的行為』と批判的な受け止め方だったそうで

 

同じく蟹座0度の時代を探してみると

1670年あたり

時は四代目家綱の時代

1663年に武家諸法度を発布し

併せて殉死の禁止を命じたとある

 

 

えっと~なんかの冗談でしょうか?

まあ、この場合はかなり時間差があるので

そこまで厳粛な感じはしないけど

時代背景は似た感じかもしれません

 

わざわざ禁止を命じたというからには

元からそういう世相にあるわけで

かの大戦中に『お国のために』とかいう風潮もありーの

蟹座の冥王星というとそういう世相になるものなのかも

 

生き恥をさらすくらいなら~という認識があったのでしょう

恥辱という言葉もありますね

でも罪を背負うのであれば生きてこそ

生きて責任を取るという方法もあるという意味で

明治天皇学習院院長に任命したのだと

 

人は誰しも多かれ少なかれ

何らかの負い目を抱えて生きているのかもしれません

あの時こうすればとか

 

後悔に目を背けないように

されど捕らわれないように

自分で自分を罰することなく

精いっぱい生きて行くことが償うことではないかなと

そして出来れば身の回りだけでも大切にする

それが求められるものなんだと

 

昔は家の前の掃除、ちょっとお隣までしたもんですよね

みんなで少しずつ掃き清められたら

みんなが幸せになれるんじゃないかなって

そしたらきっとエエことになるのではないかと

 

水上の城

たぶん一体何の風景かなと思うかもしれないけど

今回はこちら

 

 

色々探してみたけどレポートで間違いないサイトはこれかな

 
 

 

 

 

 

 

こちらから

ちょっと写真をお借りして、ありし時代の想像図など

 

今回は、明智光秀がいたという坂本城跡にしてみました

 

 

年末から年始にかけて長く雨に恵まれなかったということで

琵琶湖の渇水が問題になっていました

おおよそ70㎝ほど低くなっていたそうです

 

こういう渇水は123㎝低くなったのが1994年30年前

上記のレポートの時は2021年くらいではないでしょうか

確か2000年と2002年も渇水の報道の記憶はありますが

プライベートで忙しい時期で身動きが取れず

ということで

もはや次回の渇水はこの先20年後ぐらいというと

もしかしたら旦那や私の生死が微妙かもしれませんので

思い切って出かけることにしました

 

 

こちらは坂本城跡の公園ですが、本来は水上のお城

もちろんお城の敷地そのものは広いため

このへんも確かにお城跡で間違いがないのですけども

今回紹介するのはここではなくて

この写真の真ん中のズズイッと奥

こちらです

 

 

黄色と黒のロープが張ってあるこの石ころだらけのこちら

普段は琵琶湖に沈んでいる坂本城の石垣←こういう言い方でエエかな

 

キーエンスの保養所と思われる建物の裏手にひっそりあります

桟橋みたいなものはそのキーエンスの設備だったみたい

 

ここへ来るには私有地なのかなと思われるような

20㎝ほどの細い農道を抜けて

葦なのか草をかき分けた先にあります

キーエンスの保養所を回り込む感じ

 

 

奥に元保養所らしきものが見えますがその手前

この細い農道の左側に、

案内用のボロい棒切れの看板があります

 

思い切り車が往来する国道みたいな道路から入るので

少々怖いというか、落差がエキセントリックというか

 

 

道路側からも撮影

車がビュンビュンでこれ以上後ろに下がれません(笑)

 

 

この先を真っ直ぐ葦や草木をかき分けると

案内看板が落ちてる

 

 

先ほど細い農道にあったものと同じものなので

一応この方向で間違いないとは思うけど←一体どっちや?

 

到着したら賽の河原みたいな場所でかろうじて

黒と黄色のロープが張られているからわかるけれど

ロープが無かったら石を気軽に動かしてしまいそう

なので、注意喚起の看板はちゃんと立ってます

 

 

1994年の渇水の時は石垣の下の方まで確認できたそうですが

今回はそこまでは見られず~

 

しかし思い起こせば、

この翌年に阪神淡路大震災があったと思うと

もうそんなに年月が過ぎたかと

 

 

完全に話題が変わってしまいますが

近頃、脳内で

とある音楽がエンドレスでリプレイされております

 

よくサッカーで鳴っているアレ

アイーダ

 

 

 

うまく貼れたかな~?

この3:55あたりの間奏部分で

あくまで個人的なイメージなんですが

十字軍のジャンヌダルクが出てきます

愛の十字軍

 

しかし

曲としてはキリスト教とはまったく関係ないんですよね

確か舞台はファラオ時代のエジプトとエチオピアのはず

判ってはいるのですがどうしてもイメージが剝がれなくて

あのサッカーでの旗振る姿とシンクロして

間違ったイメージを厚塗りしております

 

私が学生時代の頃は、まずは野球が一番のスポーツで

サッカーと言えば、

当時『キャプテン翼』というところまでが精いっぱい

昨今のサッカーの認識とは打って変わって

サッカーといえばマイナースポーツの一つでした

ほぼ同年代の三浦知良が華やかに登場するまでは

なんだか寒い場所で頑張っているスポーツでした

 

確か奈良の国体で奈良県内の学校は

期間中に国体へ観戦に行かねばならない

という縛りがあって

冬に近い時期にサッカー観戦をした覚えがあります

 

私はまったく運動にはするのも見るのも興味がなく、

人気のスポーツの野球の枠は瞬く間に埋まり

寒くないというだけのために選択しようとした体操も

当時オリンピックで沸いたというのもあって席がなく

バスケットも館内ということでそこそこ人気があり

あぶれてしまって、観客がいないという依頼があって

しかたなくサッカー観戦することになったのですが

ルールは判るもんの、そんなに頻繁に点数が入るわけもなく

ただただ寒いという感想しかありませんでした

点数入ったら終わりとかではなく時間が決まっていて

ほぼ二時間は吹き晒しかと絶望していた覚えが

『陸上とか選んだらサクサク競技が進んで早かったかな』

とかまったく失礼なことをボヤいておりました

 

思い起こせばこの数年後の阪神淡路大震災の前年くらいには

サッカーはマイナースポーツではなく

華やかな競技になっていたので

もしかしたら

この時ブツブツ文句言いながら見ていた試合で

後のJリーガーが活躍していたのかも

 

とはいえ、当初のJリーガーといえども

トップ選手ならばともかく、

当時、普通の選手はそれほど年俸も良くはなく

四年ほど年下のサッカーで大学進学したという知人は

おそらく望めば問題なくJリーガーにはなれるけれども

年俸も期待できないし長く選手の前線にいられるはずもない

ということで、

サッカーとは関係のない企業に入社しておりました

 

そういえば、冥王星がいて座に入ったのもこれくらいの時期

1995年でしたね

阪神淡路大震災があり、地下鉄サリン事件があり

少し前にはバブルも完全に崩壊して

このいて座時代も2008年、

あのリーマンショックの頃に終わりを告げ

やぎ座時代を謳歌

さらには現在コロナパンデミックの後、

冥王星みずがめ座時代がやってこようとしています

そういえば、冒頭の坂本城

冥王星うお座の時期に建てられ,

廃城となったのは牡羊座冥王星がある頃

定石では、

冥王星の発見の時代から冥王星の解釈を採用する

とのことですが

一応ざっくり確かめてみると

信長様が台頭してきた室町幕府が崩壊した頃に

冥王星牡羊座に入ってきてます

 

思うに明智光秀の過ちは、

この新しい冥王星牡羊座についていけなかったからではないかと

無論当時冥王星なんて存在すら分からなかったのだから

判るすべもなかったでしょうが

少なくとも社会情勢を見ると、今は昔ではないと判りうる

一番の目安が目の前にいたのではないかと

かの信長様が!

 

当時の明智光秀の判断はおそらく既存の考えでは正義正論ではなかったかと

例えば、やはり足利義昭を中央に収めるべきであるとか

当時の正義

現代から見れば、状況からしてそれはもう『ナイ』んじゃないかなとは思うかもですが

当時の常識からすると当たり前の定石を打ったはずなんですよね

無論常識的な行動をしたはずだから間違いではない

だからこそついてくるものはいるはずだろうし

当時分厚いと信じていた朝廷サイドの力や

大きく頼りにできると思っていたキリスト関係などの外圧

順風満帆だと信じていたはず

それが通用しなかったばかりか、

ついてくるものが誰もいなかった

 

つまるところ

常識に囚われていて潮目を見誤ったというところでしょうか

 

私自身

いわゆる『平和』とか『正義』とか

心地よく響く言葉全般に不信感があります

というか、そういう文言を振りかざす人に

本当に平和的な方はいないと思っております

宗教なんかがそういう文言で溢れていますが

なんや『正義』のため『平和』のため

神様に勝手に責任を押し付けて酷いことをするイメージ

『自由』という文言も微妙

『常識』も人を傷つけると思う

そして誰も幸せには出来ない

そもそも『幸福』という文言もあやふやだと思う

 

本来ならば歓迎できる思想であるはずが

どこからかがおかしくなって

手段のためなら目的を選ばないという逆の理論になる

そして追いかければ追いかけるほど遠ざかる

不思議な思想だと思うのです

 

目的が思想であるとそれは崩壊していく

 

まさに広く開かれた大きな門が間違いで

狭く判りにくく茨だらけの門が正解の門

明智光秀の過ちはそういうとこやねん

 

今まさに冥王星みずがめ座の時代がやってくるということで

おそらく、今までの常識とはかけ離れた事態があるのではないかと予想しております

そしてみずがめ座といえば

まさに『平和』『平等』『博愛』など

私が不信感を持つ不思議な思想の時代でもあります

前回のみずがめ座時代は独立戦争やらフランス革命とか

『自由』をスローガンなイメージですね

もはや既に始まっているのかもな~

日本での前回は田沼意次の時代だったので、

様々なものが飽和状態になるものなのかなとも

加えて言えば天災が多くあった時期でもあって混乱が多かったと思います

やはり地震は多いかもしれない←あくまで私の予測です

 

そして

本当の新しい時代は

そのずっと後うお座から牡羊座へ移行する頃

私はその時代を目撃することは叶うものでしょうか?

水上の城の主は新しい時代は見たかったでしょうか

うん、たぶん理解できない時代には生きたくないとは考えるものなのかも

 

恒例の新年のご挨拶

新年あけましておめでとうございます
 
今回も例年と変わらず
京都は八坂さんからのスタートです
今年は一月三日の初詣
人ごみを避けるべく朝のうちに
たぶんこれは九時前というところでしょうか
 

 
とはいえ
 
みなさんも同じ気持ちでしょうが
元旦からえらいこっちゃで
まさか元旦から地震なんて
被災された方へお見舞いを申し上げます
 
もうどういう言葉にしていいのか
どう書いていいのか迷いがあるのですけども
一応、当ブログは『日記』という形態なので
この日の出来事も記していこうと思います
 
 
元旦
私は朝から自室の机に向かってあれやこれやと
好きに調べ物や書き物を進めていまして
旦那は元旦から
リビングの 『俺の椅子』 に座って
VRの鉄仮面を装着して
世の中と完全に断絶した世界に漂っておられました
そんな時に私のiPodがけたたましく鳴り始めました
iPodのアプリはPREPという
前身はゆれくるというアプリ
 
 
スマホにもこのアプリも入れていたのですが
どういうわけだかiPodのアプリしか鳴らず
しかも何度もけたたましく鳴るので
とにかく揺れ始めるまで一分くらいという表示があったので
リビングに向かい
VR鉄仮面の旦那を仮想空間から引きずり出して
テレビのNHKをオン
 
そしたらライブカメラの様子と『にげて』のデカい文字
さらにアナウンサーの厳しい口調の「にげて」の言葉
ライブカメラの奥で砂煙が見えて
ぶら下げていた洗濯物が揺れ出し
そのうちしっかり揺れ出して
「これはあかんやつや」
危険を感じたのでリビングテーブルの下へ潜ったのですが
ぽんちゃんが完全に固まってしまって動けなくなってる
 
地震が終わった後
なぜかぽんちゃんは、匍匐前進で一目散に玄関の方へ
それはおそらく
かつて大津の花火大会の時に
大きな花火の音と同時にピンポンとやってきた宅配便
それがどうもトラウマだったらしく
以来、花火の音=宅配便という認識で
 
つまり今回の地震は宅配便が来たせいだと思ったみたい
ぽんちゃんの推理は独特です
 
とはいえ課題がひとつ
何故iPodのアプリPREPは鳴って、
スマホゆれくるは作動しなかったのか
震度の大きさの設定の差があるのか
ならば、震度3でも一応設定しておこうと思って
設定を調べてみたら驚きの事実が!
 
知らぬ間に権限が取り消されていて
位置情報がオフされていて
なんにも通知されない無意味なアプリになっていた!
 
そんなことってある?勝手に権限を取り消すって
確かに普段滅多に使うことないけど
これは勝手に権限奪っていいものではないやろ
でも実際そうなってるし
 
いままでスマホを見て
勝手に権限取り消したという通知は
たびたび目にしていたけど
そもそもスマホを手にするというときは
だいたいすぐさまなんらかに使いたい時で
いちいち確認するというのが面倒でホッタラカシだったけど
これからはこまめに

スマホをちゃんと確認するようにして

さらに権限を取り消されないように条件を出しておかないと

 
てか~
このアプリの特性上
最初から権限は取り消せない仕様にしておくべきなんじゃ
なんやイラナイ妙なアプリは削除出来ないのに
こっちが必要なやつを勝手に削除するなんて
気を付けないと危ない
 
それにスマホゆれくるを取り入れているのは
仕事で重量物を扱っているからで
私の場合は最高でも一個6キロくらいのモノですが
その皿状のものが全部飛んでくるとなると
一瞬で旅立ちするハメになってしまいますので
なるべく早く避難体勢に入りたいという理由もあって
スマホを肌身から離さないようにしているけれど
権限取り消されていたら全く無意味(笑)
 
旦那にしても今回の調子でVRの仮想空間にいて、
社会と完全断絶している間に
そのまま揺れて
仮想空間にいたまま大変なことになる可能性だって
 
もちろん震源地が近かったら
それこそ鳴る時間すら何秒も無いだろうけど
数秒でも出来ることはあるはず
あとぽんちゃんは固まるので
なるべく抱きかかえる努力はしたいなと
 
ともあれ今年のおみくじ
 
 
今年のおみくじは木の棒を出すものではなくて
自分で選んで取る式
半吉で欲張るなと(笑)
確かに今年は色々やってみたいなと思っていたけど
あまり風呂敷を広げ過ぎないようにしようと思います
 
そして
もしかしたら以前からあったかもしれないけど
 
昔はあった八坂神社の境内で喫茶スペース
コロナ禍でずっと中止されていた厄除ぜんざい
テイクアウトで復活しておりました
 
 
家で似た感じを再現
お茶と厄除箸はないけど自前で塩昆布を用意
昔と変わらぬ味です
 
 
いつの時代も
変わらぬ日常の何気ない毎日が
希望の灯りに照らされて
昨日より今日、今日より明日へと夢を紡ぐ
そんな日々が当たり前にあるように
 

 

時代は巡り巡るの繰り返し、それも幸せのうち

とりあえず

PCを立ち上げてここに書き込むまでにたぶん3時間くらいかかった

ウイルス対策ソフトの毎回のアップデートに邪魔され

アウトルックのバックアップサービスとやらをやる羽目になり

現在なんかカチカチなまま打ち込んでいるけど~

普通に疲れた

あんまりにもカチカチでなんにも操作できなくなって

癇癪起こして強制終了したりして~

再起動してディスククリーンアップなるものを

「c」とある項目のすべてにチェック入れて削除したら

このブログ内の写真の大きさの調整が出来なくなって~

もはやサクサク動いてくれるならもうどうでもいい感じ

 


こちらは大津駅にあるモニュメント

これをもう少し大きくしたかったんだけど~

どないしたらいいんや?

はてなでは、貼りなおしたらうまくちょっと大きめには出来た

いまひとつ呑み込めてないし偶然うまくいったようなもん

 

 

 

北緯35度の記念碑みたいなものが大津駅のホームの端っこに佇んでおります

一応これも観光スポットの一つとはいえると思う~

 

 

 

ちょっと横に話は逸れますが

今年のあった出来事

もちろんコロナ

これは今年の出来事トップ5に入るかもしれません

そのほかのラインナップとしまして

 

妹と甥っ子に久しぶりに会う

養老保険の満期で健康だった特典の30万円

そのお金でコンロを買い替えた

突発性難聴再発でついに恐れていた聴力の低下

ついに伊吹山に登った

で、ここへ満を持しての

コロナに罹患がランクイン

結局これがぶっちぎりのトップ項目だと思われます

 

本当に今年は様々なことがありました

とはいえ、歴史に名を刻むコロナに罹患した事件は

しんどかったとはいえ、なんか感無量でもありました

なんというか、時代にちゃんと参加したというか

本当の百年に一度のレアな体験を

比較的安全な形で経験できたという意味では

書物で学んだとて判りようもないものを

本能的に理解できたような気がして

 

以下少しブラックファンタジー方面に舵を取ります

 

罹患して個人的に感じたのは

やはりこれは兵器のようなものではあったんだろうなということ

兵器というのが不穏な言い方なので

言い方を変えると

社会の間引きの計画がどこぞで仕組まれたのかなと

もしかしたら年寄りや体が悪い人を間引くような目的のものではなかったろうかということです

しかし、それがそういうものだったとしても表立っては言えないし

あくまで事故であるならば容認するような

そういう作られた病原菌じゃなかったのかなと

それにもっと穏やかな形での自然淘汰のような完成を目論んでいたはず

しかし、研究の土壌のサンプルが比較的若く健康であったために

欧米ではボーダー設定が狂って劇毒化したのではないかと

まあ、これはちょっと深読みしすぎかもしれんけど

日本においては少なくとも年金節約にはなったよねきっと

なんというても団塊の世代が大きくのしかかってくる時代やからな~

 

 

ではでは~本題に戻りまして

 

舞台はコロナ罹患後十日目以降から

なんとか職場復帰も果たし、一応完治したテイですが

今一つも二つも体調的にはボロボロで

いわゆる後遺症状態と言えるのかどうか

とにかくそんな体調不良からほぼ全快に到るまでのお話です

 

いつになったら治るんや?と

不安になったりしている人の指針になればと思って書き留めているのと

未来に対して、こういうことがあったんやでという

地震などでの石碑的なものを刻んでおきたい

と思ったのが発端になります

 

前回書き忘れていたことですが

実は実質五百円ほどで購入した怪しいスマートウォッチ

これを装着していたのですけども

私の場合、

どうしても腕に装着するのが好きではないという理由から

こんな感じで足首に装着しておりまして

案外これがちゃんと普段の歩数や心拍数も

手首とそう変わらず反映されていたのですけども

コロナ罹患した当日。発熱して帰宅したところで

「心拍数に異常があります」

と通知がありまして

この時はもう既に発熱を確認して一時間後

社内でのコロナ検査キッドでもうっすらではありましたが

罹患の確認をした後だったので

「今更遅いわ!」とは思ったのですけども

よく考えてみればなかなか優秀だったかもしれません

しかも足首に装着するイレギュラーでもちゃんと作動してる

とはいえ、

安物だったので今はもう充電池がだめになったのか

もう動かない時計、オンすらされなくなってしまいました

ですが、正規品ならもっと役に立つアイテムだと思われます

 

 

では~コロナ罹患後12日、復帰五日目にして

夫コロナ六日目

 

糖尿病による慢性病で一番心配していたもんの、

比較的元気な旦那ではありましたが、

本来この日から復帰予定でしたがさすがに無理だったと見えて

復帰を一日ずらすことにしたようです

私の体調は、おなかのクダリはどうやらファイナルに近づいてきたようで

同時に匂いや味覚が戻り始めました

しかし喘息のような体調で、

動けなくはないけれど無理をするとゼーゼー言い始めて

おしゃべりが出来なくなってきます

さらには口内の乾燥によるためか、嚥下が難しくて

本来猫舌であるはずが、舌は熱さは感じず喉で熱さを感じてむせるという

思い返せば、アイスクリーム頭痛も起きなかったんですよね

しかしながら気分は良好なんでご機嫌でした

味覚もそこそこ戻ってきているしそれが嬉しくて

相変わらず辛い物フェアが続いていまして

体調は昼過ぎにプスプスガス欠気味ですがご機嫌モード

ちょっとハイになりがち←これも後で回収される見込み

この時にハマっていたのがレモングラスハーブティー

 

この頃朝の心拍数が結構上がり気味で

普段60前後であるところ、80超え付近をウロウロしておりました

若干高くなっていた血圧もこの頃には普段に近くに低めにはなっていたものの

一貫して心拍数が高い

単純に息が上がっている状態だったと思います

おそらく就寝時にうまく息が吸えていないのだと思います

この息苦しさは自覚があったので、

就寝時に低周波の治療器を首や肩に貼って

もみもみしながら寝ることにしました

これが意外と悪くなかったです

 

この頃スポドリペットボトル症候群並みに取り入れています

とにかく脱水症状がヤバいというのが判ったので

出る以上にガンガンいれていくという~

昔のドラマ『仁』では、

コレラと対峙するのに

os1というスポドリ作戦一本で切り抜けていたし

ともかく水分はとっても大事なんでしょうね

 

ネタバレごめんにはなりますが

かの、ジャッキーチェンの映画でも

脱水によってあっという間に殺されるシーンが

 

 

 

 

 

てか、水分無くなって干からびたらホンマに死ぬと思いました

いわゆる老いで死に向かう人は

単純に保水力が保てなくなったのではないかと

この水の競り合いで負けたら、

亡父のようにコロナ完治したのに

蛍の光で閉店のお知らせになってしまうのでしょう

この頃ガンガン体重も減っていましたが

これは決して喜ばしいことではなくて

おなかのくだりでどんどん脱水状態が進んでいて

これは潤いという面で危機に瀕した状況だったと思われます

 

 

この頃スポドリは一日1.5Lペースで挑んでおりました

食べるものもとろみのあるものが食べやすかったので

めかぶやおくら山芋など取り入れております

案外、おかゆは受け付けなくてその方面だとうどんあたり

大体においてアジア系のスパイシーな料理が口に合いやすかったと思います

 

コロナ罹患16日目にして復帰9日目

夫コロナ発病から10日目にして復帰4日目

 

ようやくここへきてバイタルに落ち着きを見せてきます

スポドリも多少カロリーオフを狙ってダカラに切り替えました

発病前から習慣のエビオスも引き続き

喉の違和感に龍角散ダイレクトを持ち歩き、

就寝前には潤いをもたらすサラジェンを

飲酒についてはなるべく警戒しながら試すということで養命酒から

 

おそらくですが、亡父の場合、コロナ完治して退院した時に

たぶん「ちょっとだけ」と言いながら祝い酒ということをやらかしたのだと思います

それがたぶん致命傷だったのではないかと

とはいえ、ずっと禁酒というのも支障があるので

少しずつ様子を見るということで養命酒(笑)

 

ところで体力的な問題ですがこの時はまだ無理が利きません

自転車というと距離を飛ばして歩きよりも楽なイメージはあるでしょうが

無理していないつもりでも体には響いているようで

たった五分ですら乗れない感じ

充電池が古くなったみたいに、

起床してHPが復活していても

たった数分の歩きで赤ランプが着く感じ

回復速度が遅くなかなか充電できないのに

減り方が急降下であっという間

その体力のあり方にに自覚意識が付いてこない

意識は元気なのに体がヘバヘバ~

おそらくこれを無理すると蛍の光が流れることになるのでしょう

 

この頃意識して取り入れたのが鶏レバー

潤いを保つべく粘膜ケアを意識しました

このために自転車10分の無理をした~

 

しかし、旦那の回復ペースの方が速かった

コロナ罹患から二週間足らず復帰から一週間足らずで遊びに出かけております

さすがにちょっと疲れたということで早めには帰ってきたけど

慢性患者のはずが、いつの間にか私の不調が取り残されております

私の方は読書だけでも具合が悪くなる始末

まさか徒歩五分や自転車10分風呂五分程度でも

具合悪くなるとは予想もしておりませんでした

 

コロナ罹患から三週間後

 

だいたいおなかの渋りがマシになってきました

お通じがない日も出てきて

と同時に体重がガッツリ増えてきました

夕方近くまで声も出るようになり

鼻水とくしゃみが出るように

ただ、朝の心拍数がいまひとつ安定しておらず

体脂肪が高い状態←おそらくまだ脱水状態

仕事には出てはいますが、正直「無理をしている」状態です

なので家事などはさぼりがち~細かいことまでは手が回らず

マスト事項だけ頑張ってこなしている状況です

このへんで朝の回復度が五割~六割になってきました

その分夕方には体力も残るようになってきました

しかし、もっと元気なのは旦那

すっかり通常モードに戻っております←なんかずるい

 

私はというと仕事は何とかこなすもんの、重たいものは取り回しの無理が続かなくて

しばらく免除してもらっています

この頃は六時を過ぎて夕飯の支度をしようとすると電池が切れておりました

旦那は慢性患者なはずなのにすっかり元気で解せない~

とはいえ、土日の休暇を挟むたびになんとか復活の目処が立つようになってきました←つまり何より休養が大事だったのではないかと

 

 

この頃になると自律神経的な感触がありました

突然電池が切れたような感じ、いかにもコロナの後遺症なんでしょうが

あくまで私の体感ではありますが

もしかしてこの体調に無理やり適応しようとして自律神経が妙なことになっているのではないかと←ここ伏線回収

適応しようとして、変にハイになったりしていて体力的に持たなかった、息切れしたのではないかと

普段でも疲れてひと踏ん張りというときに

故意にモチベーションを上げていきますが

それが裏目に出たということではないかと

 

体重増加と引き換えに体脂肪率の数値が収まったところで養命酒を始めることに

もしもコロナの後遺症というのが自分の10年後を示すものなんだとしたら

祖母は晩年薄毛になっていたし、考えてみれば亡父も幼いころ結核になったとかで

呼吸器は弱め

その呼吸器系が弱めなのも祖父の遺伝ではあるようです

そこから亡父はコロナ完治したものの復活は叶わなかったのではなかろうかと

 

で、よくよく思い出すと私自身も近年気管支喘息というのになったことがありまして

ずっとしつこい風邪だと思って医者ジプシーしていたら、

肺に痕がついてしまっていて

とはいえ気管支喘息と分かって治療して治ってからは

時折健康診断で指摘されるくらいで不自由は感じていなかったのですけども

ここに大きなリスクが潜んでいたのかもしれません

そんなわけで、

私は健常者というより実は疾患持ちのカウントに入っていたのかもしれません

 

 

コロナ罹患から4週間後

 

この時期

所要がありまして旦那が運転する車で出かけました

が~

乗車して五分で車酔いが半端なく~

自転車どころか自分で運転しない車の助手席すらアカンのかい!

 

しかしここでちょっと思い出すの巻

以前風邪引いて治ってすぐに熊野神社まで車旅行へいったのですが、この時も車酔いが激しく

この時は飲料と飴にガムで乗り切りました

で、この日も龍角散ダイレクトに飴玉でなんとか乗り切りました

 

そしてもうひとつ思い出したのは

いとこの結婚式

当時妹は安定期ではあるもんの身重で

気軽に車で参加するつもりでいたら、

お腹に良くないから電車にせぇと説得されて

渋々数時間かけて電車を乗り継いでやってきて

「絶対車の方が楽やったわ!」とボヤいていたけど

たぶんこれもそういうことなんだろうなと

 

そしてコロナ罹患から一か月

 

ここでアメブロの記事で

時々読んでいるきなこさんのブログ

ameblo.jp

 

 

うまくリンクできたかな~

 

ここできなこさんはアレルギーの薬で回復されたそうで

まさにこの絵の「ケンケン」という嫌な咳に既視感がありまして

私も忘れていたアレルギーの薬を再開することにしました

私の場合はCPAPで、どうも鼻が詰まるというところから

睡眠改善を目的で処方されていたものがあったのでした

 

私自身としてはきなこさん同様にはっきりとしたアレルギーの自覚がほとんどなかったのですけども

たしかにIgEとやらの数値がべらぼうに高かったので

効果が自覚できないまま適当に飲んでいた薬

コロナで吹き飛んでしまってすっかり忘れていたのですが

この機会に真面目に飲み始めて

ここで、待ちに待ったほぼ完治という位置に戻ってきました

 

しかし、後遺症と言っていいのか

スポドリ作戦が行き過ぎて体重増加(笑)

そして、

お酒があまり飲めなくなった←以前はザル、むしろ正常になったと言えるかも

あと真面目なところでは

ドン引きの抜け毛

手先の乾燥

 

まあ体重増加以外は早めに老化が前倒しになったような

 

さてさて~えらい長編になってしまいましたが

今年のまとめ~

 

とりあえず生きてる

元気や!

それで良かったじゃないか

太ったけど!

お金もあんまりないけど!

とりあえずご飯もおいしい

毎年そんなことを思うように巡り巡っていくのかなと

 

ということで

今年は皆様お世話になりました

楽しく読ませていただいたり良い時間を過ごしました

皆様、良いお年を~

落ちた粽~コロナ着弾

だいぶんとお久しぶりになります

気がついたら11月って!

まずからして私の中で九月がほぼ消滅しております

 

思えば、大津祭の粽が落ちたことから始まります

毎年大津祭の粽を玄関のドアに、マグネットのフックにコードを束ねる用のクリップで留めてあるのですが

八月末、そのクリップが壊れて弾けて粽が落ちたんですよね

それこそダイソーで購入したようなものですから壊れるのはいつかは壊れるようなものですが

なんか嫌な予感がしたのも事実

とは言え、毎年十月第一日曜日が大津祭、もうすぐ取り替え時期でもあるので

とりあえずは玄関ホールに粽を置いておきました

 

てなことで、今回は大津祭でいきますか

 

 

 
 
 

のっけからの前提が崩れまして~今回はタブレットからの入力にしてみました

やっぱり写真選択の時にパッと確認できないというのがまずの面倒さにあります

皆さんどうやってアップしているんだろう???

お試し技で、タブレットでお手軽に入力したのち、スマホで写真を付け足して、最終的な補整をPCで

 

 

まずはいつものようにちゃんとした情報の貼り付け

 

いつもならばそこそこどういうものかは把握しているのですけども
大津祭に関しては
狸山が絶対エースで先頭であるということぐらいしか分かっておりません
その絶対エースの狸山の粽を買って玄関に貼り付けるのが
大津市に引っ越して以来なんとなく続けておりました
 

それまで漠然と大津祭は体育の日!という認識だったのですが

実は2000年の「ハッピーマンデー法」で、

体育の日が10月10日から10月第2月曜日へ変更になり、

これに合わせて

体育の日の々前日の土曜日に宵宮

前日の日曜日に本祭(曳山巡行)になっていたのですけども

それまで漠然と
体育の日が祭りの日
という認識でうまいことなんとなく参加できていたのが
去年は10月10日を意識しちゃったので既に祭が終わっていた~
で、仕方なく残り福の西王母山の粽にしたのでした
 
 

コレがすなわち残り福にして例の落ちた粽の西王母

もしかしたらこれのおかげで今年もなんとか過ごせたのかもしれん

 

今回は、源氏山にしました

 

 

 

これから始まるという大河ドラマの題材の紫式部のやつになります

 

 
この山車で色んなカラクリを楽しむ感じの祭です
 
 
詰所みたいな所ではそれぞれ人形が飾られておりまして、おそらくこれは紫式部だと思われます
 
 
そして、どの山車にもこういうトルコ絨毯みたいなものが飾られております
不勉強で、なんでこういう祭なのか判らないまま楽しんでおります
 

全部で、山車は13基ありますが、山車ごとに粽がそれぞれありまして

この13種類を13年かけて一つずつ粽を制覇すると旦那は目論んでおります

てか、少なくとも13年無事に生きる~という祈願でもあるそうなんで(笑)

 

いや、コレ、マジの祈願でもあります

 

冒頭で「九月が消滅しております」とありましたが

実は~私、コロナに罹患しておりました

しかも~

我が誕生日の前日~

ちょうどソーラーリターンに合致する頃

 
 

 

正確に言うと8月31日14時頃

異変を感じたのは仕事中の最中でした

一応その瞬間あたりのホロスコープも出してみると

ぱっと見た感じはソーラーリターンと似たり寄ったり

 
 
簡単にホラリーとして考えるならば、
6室にはヤバそうなのはいないので助かったのかも(笑)
むしろ楽しそうかもしれん
でも8室に太陽が居ったので、生死を思索するという風に後出しジャンケンが出来そうです
そうまさにコロナを楽しんでいたかもしれません
でもマジ死ぬかと本当に思った~
 
 
この時、温度計が暑いと示しているのにも関わらず

なんか暑くないな~節々が痛いな~と思っていたら発熱しておりました

この時37.4ほど

 

 

しかし、この突然な不調の感じには覚えがある

コロナワクチンの副反応と同じ!

ということで、仕事を即座に停止

普段ノーマスク主義では有りますがグレーなら話は別!

おかしいと感じてすぐ手持ちのマスクを取り出しまして

熱を測る段階ではしっかり装着しておりました

そして発熱を確認してから社内の規定に従ってコロナ検査へ~

ま、言えばワクチンを三回目まで受けといて良かったなと思ったのがこの点

このワクチンの副反応の経験がなければ

たぶんここまで早くの待避は考えなかったと思います

 

しかし、まだ罹患ホヤホヤだったせいか、検査の線がめっちゃうっすらで~

されど説明文に寄ると、うっすらでも出てたら陽性だということで早々に帰宅しました

 

 

 

本当に悩むくらいにうっすら

あんまりにもうっすらで

職場の検査キッドの責任者や上司としばらく悩みましたが

とりあえず発熱は間違いなくしているのは確かだからこの写真を医者に見せてみるわ~と

一応病院で写真を見せて改めてコロナ判定を戴きました

使用後のキッドは持ち帰りまして

これが4時間後くらいになるとこんな感じ

 
 
確かにちゃんと線がハッキリしています

 

そういえばその三日ほど前

社内でコロナ発症して早々に帰宅した方がいまして

その途端、現場が騒然と

急にあらゆる場所が立入禁止になって

特にノーマスク派の私に対しては

そこを動くな、エエというまでそこを動くな、危ないからとまで言われて(笑)

「アイツ居た所全部綺麗に消毒した」とか言ってましたが

そもそも

それまで普通に仕事していたんですよね~

だから、発覚したからその時にあちこち消毒したからとて

これでもし移らなかったら逆にオカシイかも~?とは思っていたんです

それに先方はずっとマスク着用だったけど私はマスクしてなかったし

 

で、後日談にはなるのですけども、私が早々に退避したあと

私のやりかけの仕事を、退去する時に残りを依頼しておいた人も数分後陽性となって脱落

その他の部署でもその日のうちに次々と陽性が発掘されて、いわゆるクラスター状態

最終的には社長まで移ったそうな

 

私はこの日、せめて味が判るうちに~と

前倒し誕生日ディナーとして出前館ステーキガストのチキングリルを~

こういう考えだから一向に痩せないんだろうな

一日目はとりあえず体が痛いのと発熱だけで比較的元気であります

 

 

二日目

真夜中、鼻が詰まって目が覚めました

ちょうど手持ちの薬で

いびき治療に耳鼻科で処方してもらっていたプリブナで強制的に鼻を通しました

主訴としては関節痛と発熱、そこへ鼻づまりが新規参入

しかし、水下痢というかとにかく水分がトイレで物凄く排出されていて1kg以上減りました

この時お茶や水なので充分水分補給をしていたつもりですが、

体重が減っているので全く間に合っていないのを気がついておりませんでした

 

三日目

 

旦那から私への誕生日お祝いにと

サプライズ注文していくれていた高級果物と高級卵のセットが届きました

 

もちろん注文したのはコロナの影もない時で

まさか誕生日にコロナとともに迎えるだなんて思ってもいなくて

しかし既に味覚は遠ざかりつつあり、されどナマモノですから~

ちょっとでも判るうちにと、痛みやすいものから頑張って食べるの巻

折角のエエ巨峰、折角の高級卵~

 

コロナで塩味がしないという話や、塩味がやたら辛くなるという話を聞いたので、

あえて薄味にしてみたけど、薄味はやっぱり薄味にしかならず

減塩が売りのインスタント味噌汁は、ダシの味が遠ざかる単なる薄い味噌汁でした

つまり旨味が判らないと予想されます

因みに旦那に対するコロナ対策は一切しておらず

そもそも

本人が回避しようというそんな気がないし、

何より私自身が気持ちは元気でも体がしんどくて頑張れないこともあって

最低限食べるのを別にしておくとか、咳はなるべく違う場所で~くらいのことしかしませんでした

ちゅうか、私がうつされた時、

確かに私はマスクしてなかったけど先方はしっかりマスクしていたので、

それが本当に有効ならば意味あるだろうけど、家の中でマスクはナンセンスだと~

どっちみち私が炊事するんだし~

旦那が部屋に閉じこもるなり、

私が部屋に閉じこもることが出来るように

旦那が炊事するなりご飯買うなりするなら意味あるかもだけど

その方面のやる気が無い以上、回避はほぼ無理だろうと

予め不可避だと取り決めてはおりました

 

四日目

 

一番しんどい日でした

この日は天気がすごく良くて爽やかな風が窓から入ってきて

「死ぬならエエ日やな~どうせ死ぬならこういう日がエエな~うってつけやわ」

という思考が行き交いしました

 

体中の水分が持って行かれて、口の中も乾燥して、うまく飲み下せない状況

とは言え、幸い味が判る状態で食欲もあるし、特に汁物が食べやすかったのですけども

問題はその温度で!

元々猫舌なんですけども、口内が乾燥しているせいか口内の熱さは何ともなくても、通過をする喉が熱くて飲み込めないという

おそらく口内の温度の感度がおかしくなっていたと思われます

つまり口内の乾燥はしているけれども喉はまだ潤いがあったのではないかと

この日ポカリと加湿機、そして龍角散ダイレクトを導入

コレが先々まで重要なる役割を担う事になります

 

そしてその晩の就寝時

言わば五日目の朝とも言える晩

二年前に亡くなった同僚が夢枕に立つという~

夢の中では亡くなったのは判っているんですよ

でもシチュエーションはなんかの酒席の設定で久しぶりに集まった飲み会の座敷

彼女以外は知る人はいなくて、彼女に会って久しぶり~と抱き合って喜んで

 

生前、

亡くなる前に、彼女から生死半々の手術を悩んでいるという話を聞いていて

その時に答えたのが、

普通は、いきなり予定に無いときに亡くなるから、

心残りやら黒歴史の整理やら、

ちょっと待って~今じゃない今は困る~って

思い残す事がたいていあるものだけど

生死半々の手術なら、予め色々用意出来るし、

なんなら祈祷でも御守りでも占いでも、自分が納得出来る準備は出来て覚悟も決められる、

そこだけは有利とも言えるよね

それで手術が成功して元気になって、先々突然のさよならが訪れたとしても

あの時生死を分けた手術の時からの時間はラッキーの時間で心残りはもう無いし

覚悟も出来ているから安心してさよなら出来るやろし~

タイミングを選べるという意味では悪いことでは無いかも~

というような内容を話したのが最後で手術を受けて亡くなった

まさかそんなすぐに賭けに出るとは思っても無くて

賭けを急がせる悪いこと言ったかも知れないと、それについて謝っていたんですが、

そんなんエエよ~って言ってくれて

それより、今、私が気にしているアレ、大丈夫やから~気にしなくてもエエんやで~

と言われて眼が覚めました

 

もしかしたら

ホンマに旦那には感染しないということかな~?

いつもなら無駄に新しいタオル引き出して使うくせに

思い切り私が顔を拭ったタオルをわざわざ使ってるし

あれでうつらないならもう絶対うつらないんじゃないかな~

 

結局

そんなワケなかったんですけどね~

 

この日導入したのは、以前に耳鼻科で処方されていた口腔内乾燥改善薬のサラジェン

そういえば、アレなら口腔内の乾燥が潤うはずと思いついた、そのついでに

同じく以前に、

これは内科で処方されていたものの、

副作用の口内炎に悩まされたので、服用を中止にしてそのまま保管してあった薬も思い出しました

レルベアのことです

とりあえず下の写真にあるものは一通り使いましたが

アラミストとホクナリンテープは二回ほどしか使いませんでした

しっかり使ったのはレルベアと、普段からいびき治療で使っていたモメタゾンとプリブナになります

レルベアは二週間ほど使って、そこから以前と同じく口内炎ができ始めたので中止しました

 

 

以前にコロナに罹患してなかなか咳が治らなかったという人の話を聞いた事がありまして

その時に処方されたという薬が

どうやら私が持っていた同じ喘息の薬、レルベアだったのを思い出したのでした

 

念の為、ネットで喘息の薬とコロナの関係を調べてみたら

喘息の薬はコロナになっても基本的に辞めてはいけないとありまして

もちろん自己責任ではあるけど、おそらくこの投薬は有効だと結論を導き出しました

どちらにせよ、

私の場合、高脂症の薬があるので、噂の新薬ではなく、

処方された薬は基本的に、解熱剤と喉の炎症を抑える対処療法

プリブナに関しては医者に相談したけどそれは良いとも言っていたし

その理由については、そんなに強い薬ではないからと答えていたので

これらの喘息の薬もそんなに強い薬ではないし

そもそも正当に処方されていたのだから

自己責任で導入を決めました

 

 

六日目

 

やはりポカリなどの水分が足りない!ので前日に無理矢理買物へ

その時にふと思いついて購入したヤマモリのグリーンカレー

それを食べたらやたら美味しくて!

既にだいぶ辛さは判らなくなっていましたが

程良い辛さとコク、そして出しゃばらない甘味があって爽やかな香り

感動的に美味しくって!

しんどいのにもう一度出掛けて買い足しましたakuten:yamamorishop:10000962:detail]

 

なお~この時近所のドラストへ歩いて行きましたが

この徒歩五分が体力的に精一杯でした

気持ちはハイで元気なんですけども←(この原因はめっちゃ後になって回収されます)

気持ちとは裏腹に体のしんどさが酷くて

特に喉の嚥下が難しくなっていまして

何故だか魚の味が喉に突き刺さるような感じで和風全体に食べにくく

一方、山芋やオクラなどの程よいトロミがある食べ物が適していました

お粥などでは舌の感度と喉の感度の乖離があって、

特に熱々が危険で、細かすぎる食材もむせやすくて

おそらく蒟蒻とかタピオカとか危険だったかも?

アイスなんかは食べやすかったかな

プリンやゼリーなどもよかったかも知れませんが

この時私がチョイスしたのは氷菓とコッテリラーメン

これはワクチン副反応の時と同じチョイスになります

 

そして

七日目

とうとう旦那にコロナが移りました

ま、そりゃそうかなと

むしろ意外と時間がかかったなと

正しくは六日目の夕方に調子が崩れていたので、移るまで結構かかったような

おそらくタオルの共用というより、私が咳込んだ時に傍にいたのがあかんかったのではないかと私は思います

そのタイミングならちょうど三日目ではあります

 

なお~六日目でも書いた通り

コロナと相性がとことん悪かった食材が魚でした

鰯の生姜煮がとにかく喉に刺さる感じ

カツオだしの味噌汁も同じように喉に刺さるので、和食を避けるようになりました

 

八日目~十日目

会社の規定では七日目には出社してもいいということだったのですが

やはりしんどさがあるのでさらに休みまして

選手交代で旦那がコロナ~

一応看病で休んでも構わないというお話も戴いてはいたのですが

 

私がシンドイ時に徒歩五分のドラストすら行ってくれなくて

無理して自分で買いに行った~という、ちょっとばかりウラミもあったので

 

同じ無理するなら、病み上がり看病よりもむしろ仕事の方がマシかなと(笑)

どっちにしろ三日目が山ですし、三日目は土曜で通常休みだし

というわけで、旦那を家に残して復帰出社することにしました

 

久しぶりのお仕事、しんどいけど動けなくもない

しかしながら昼過ぎから調子が崩れて、

動けるけど喋ろうとすると咳き込んでしまって話せないという

シンドイと言いたくても物理的に声が出せないので仕方なく仕事を進めるという(笑)

なんというか、気持ちは元気なんですが

声が中森明菜のような囁きボイスでないと最後までうまく話せないという

 

この頃、ハーブティーに凝りだしました

ミントティーが鼻がすっきりする感じでなんだかいい感じ

ちょうど頂き物のミントティーがあったので

それで思いついたのがグリーンカレー

コロナ罹患後、やたら美味しくて何回も食べていますが

もしかしたらこれはハーブがポイントではないかと

 

で、ちょうどレモングラスの香辛料があったので、手持ちのミントと合わせてお茶にしてみると

これがなかなかいい感じ

ということは、もしかしたら薬膳料理とかいいかもしれないと

ローズマリーのチキングリルにしてみましたがなかなかおいしく食べました

 

ところで味覚障害についてですが、まったく味覚がないわけではなくて

社食を食べていても、これは判るこれは判らん~と結構楽しみながら食べておりました

 

おそらく

ではあるのですけども

口腔内の乾燥が味覚を狂わしているのではないかと

乾燥がこの時舌から喉にかけてだったのが

日を追うに従ってだんだん気管の奥に移動している感じがしました

で、

味というものは舌だけではなくて鼻や喉でも感じていて

だからこそ猫の目のように味覚が変化していっているのではないかと思っておりました

 

さらに十日目の夜には、いびきはしているもののよく眠れるようになりました

それまではいびきをしていないというよりも

息が出来ていないという意味で、いびきラボのアプリでもいびきが検知されていませんでしたが

それはつまり、まったく眠れていなかったということになります

おそらく、一般的な亡くなり方の一つに、息が止まるというのがあったのだろうと思います

それはやはり、実感として

風邪というよりもアレルギーの方の症状に近いのだと思います

そういう意味で

イビキをするタイプいわゆる太り気味や

呼吸器系の疾患持ちなんかはリスクがあったのではないかと思います

 

 

 

なんかものすごく長編になったので次回続く~とします

次回でたぶんおわれるんじゃないかな?

 

盲点は唯一無二の見落とし

今回は琵琶湖疏水にしようかと~

 

 

以前京都の蹴上にあるインクラインに行った覚えがありまして

その写真を探していたのですが見つからず~

 

いわゆる映え写真を撮影するには「持ってこい」な場所です

しかし手元に写真は見当らず~たぶんカメラを購入する前に行ったのではないかと

 

よく滋賀県民が

「琵琶湖の水、止めるで!」

って言うけど、たぶんこの水のことかもしれない

びわ湖の唯一の出口である瀬田川の洗堰もあるけど、

あれは止めたらほかに出口ないからびわ湖が溢れるし

 

そもそも古来から京都市内の水不足というのが懸念だったようで

何度も水利工事の案だけは話が浮上したとかで

なんや、古くは太閤様の時代から案だけはあったようです

 

とはいえ~しっかりした情報が大事なんで

ちゃんとした知識はこちらがオススメ↓

 

それではいつものように資料サイトのご案内を~

biwakososui.city.kyoto.lg.jp

 

 

でも、名所インクラインとしては京都の範疇なんですよね~

琵琶湖の水なのに(笑)

 

www.city.kyoto.lg.jp

 

ところで、ついこの間まで閘門工事をしておりました

「閘門」ってご存じでしたか?



私はこの年になるまで「閘門」という言葉は知りませんでした

『こうもん』と読みます

水位の異なる水路を船がうまいこと通るためのシステム…ということでいいのかなぁ

 

今まで色んな名所や観光地に行きましたが、

琵琶湖疏水インクラインは感動したベストテンには入ります

彦根城黒部ダムも感動しましたがそれらと肩を並べる名所の一つになります

 

昔、黒部ダムなどは「黒い太陽」というドラマになっていたのだから

感動の度合いから言っても、技術の難しさから言っても

琵琶湖疏水インクラインの建設だって充分ドラマチック

中島みゆき地上の星を流さなければなりません

私はこの話は大河ドラマでも連続テレビ小説でも映画化でもすればいいのにと思います

 

実際虫プロダクションでアニメ化はされているんですよね

 

 

ただ~物語としては

残念ながら登場人物がちょっと地味なような気がします

土木技師の田辺朔朗が主人公だとすると

脇を固めるのは

第3代京都府知事となった北垣国道

初代京都市知事の内貴甚三郎、二代目西郷菊次郎

三代目川上親晴

福島県の安積疏水の主任技師南一郎平

測量を島田道生

どなたも才気あふれる方々ですが、花がないというと語弊があるか~

それほど破天荒なキャラクターもいないし

せめて晴れやかなヒロインがいればいいかもしれませんが、

あえて言えば北垣国道の娘、静子が田辺朔朗の後の奥さんになりますし

お姉さんも片山東熊というあの迎賓館を作った方に嫁いでおられますが

ヒロインにするにはちょっと掴みが薄いような気がします

 

実はこの草案は太閤様が思案したのちも

ある程度の本格的な計画案が何度か、江戸時代から吟味されてきました

古くは寛政末(1800)年頃の疏水計画図が残っています。

ついで天保12(1841)年壬生村の農民が京都町奉行所に請願した計画,

文久2(1862)年豊後国(大分県)岡藩主中川久昭が朝廷に申請した計画,

明治5(1872)年下京の住人が京都府庁へ請願した計画,

明治7(1874)年に滋賀県が立案した外国資本を導入する計画等があります

 

www2.city.kyoto.lg.jp

 

こちらより抜粋させていただきました

 

どれもこれも実現が出来なかったのは

途方もない莫大な資金と技術的な問題が第一の原因だと思われます

 

最終的に実現が叶ったのは、皇室の方々が京都から東京へ移動したことで

手切れ金的な公的資金が纏まって降りたというのと

ちょうど土木技師の田辺朔朗が現れたというタイミングが大きな要因

 

一応の建前としまして~

皇室の方々は、ちょっと東京へお出かけしていて、本来のおうちは京都の御所!

ということになっております

 

でも、京都から皇室の方々がいなくなるというのは

当時の京都市民にとって、とっても大変なことで

人はいなくなるし、経済効果までダダ滑り

皇室御用達の商人は東京へ進出するし

経済界の大物やお金持ちは皇室不在の京都を見限り挙って東京へ行くし

税金も大口が次々と無くなり

そうでなくても蛤御門の変などがあったりして荒れ果てて満身創痍だった京都

 

そこへ、目玉の事業がクローズアップされます

というか、活性化にはエネルギーが必要だと当時の知事は考えたのではないでしょうか

 

そんなわけで、皇室の方々の「おでかけ」をダシに結構な資金を要求したみたいです

されど、それだけではまだまだ足りなくて、外国へ外債の募集をかけたりしております

 

技術的にも劇的ならば、金策的にも胃が捻じれそうなくらいに劇的で

市民の多くの夢を背負いながら多くの苦難を乗り越えて

さらには完成したのちも水力発電で日本初の電車が利用されたり様々な歴史を経て

昭和23(1948)年の運転を最後にインクラインは稼働を停止

今では散策や写真の映えスポットとして多くの観光客が楽しんでおります

近年では疏水を巡る船なんかも人気のようです

biwakososui.kyoto.travel

 



頑張って撮ろうと思ったけど撮り切れなかった

トンネルの上の方に看板がありまして文字が書いてあります

 



 

 

あの伊藤博文がトンネルの入り口の文字を書いたのだそうで

 

 

 

ところで先日イプシロンSが爆発してたけども~

その前にもロケット失敗していて続いてしまってますね

 

 

テレビに出てる偉い人は

なんか、システム上での不具合だと想定しているようですけども

個人的には

案外、ものすごく単純な部分のヒューマンエラーだと思います

それこそネジの一本から一つ一つ精査した方がいいのではないかなと思うのです

 

宇宙開発の初めの頃は、そりゃあ大気圏外でそもそも地球じゃないし

あらゆる想定外も考えなきゃいけないこともあって

昔ではあるけれども、その当時の出来うる限りの最高品質で作り上げていたと思われます

 

いまや

現代の技術や測定技術もすごく発展して

昔ではできなかった技術や精度の細かい数値化なども存分にできるようになり

昔ではできなかったあらゆることが様々な分野でできるようになったのは確かなことです

 

しかしながら

実感として精度があまくなっている可能性があると私は思います

それは雑だとか怠けている、そういうのではなくて

つまり

ものづくりの現場が「疲弊」しているのではないかと懸念します

 

技術の練度を高めてさらなる完成品を精査して一番良きものを納入する

過去の技術はこれがあったのです

 

しかし現在は

明確に合格の範囲があって、その公差内であれば問題なく良品として納入の流れになります

もちろんそれは不正ではなくむしろ間違いのない正当な動きではありますが

されど

単純にとにかく恥じることのない最高品質を目指していた過去

それはまるで特注品を作るように唯一無二のオートクチュールのように

しかし現代のモノつくりは、見えないところから事情が変わり、理想とは相反する

過去の唯一無二とはまったく理念が違うのです

 

さらに追及すると

それらが組み合わさっての出来上がりも、

おそらく無難に機能する量産型に近い状態ではなかろうかと

 

この感覚は技術者などの上の方では予想もつかない不備だと思います

 

判りやすく例えるならば

一流シェフのレシピをリーズナブルなコンビニ展開をしたような

もちろん美味しいのは間違いないはずですが

微に入り細に入りの技で

レシピや工程、設計図としては同じものでも

シェフが腕をかければ

出来上がりはまったく別物、やはり根本的に違うのです

 

今現在のスキルある技術

多くは団塊の世代より上になるでしょうか、

技術が海外へ出てしまっているとかそんな報道もありましたが

一つ一つの小さな素晴らしい技術が、ひっそりと音もなく年々姿を消していっています

 

経営者やCEOなどという立場の人にとっては、

工場現場や土木などの現場の作業というと

二束三文の価値で誰でも出来るスキルだと思っているのかもしれませんが

そんな簡単なものであれば、

それこそロボットでも生成AIにでもやらせてみればいいのです

 

実際に生成AIがやれること

単純作業と言われる二束三文の下層の労働者や工場勤務の仕事が取って代わると

当初は思われてきたけれど

実際始まってみると

無個性だと思われる、頭はイラナイと思われる単純作業よりも

案外、クリエイティブだとか個性とかの分野で使われ始めています

 

それはどういうことか

それは、一般的な思い込みの単純作業に属する事柄が

AIでは割に合わない←人間の方がお安くてお得

あるいは意外と難しい←臨機応変に対応して応用した技術が必要

そして、部品同士をつなぎ合わせる以上、その呼吸というか感覚で

意外とコミュニケーションスキルが重要

そして経済的な忖度も考えないといけない

最終的なバランスも考慮しなくてはならない

そういうことなのだと思います

 

たとえコンマ1のズレであっても、

あらゆる部品がそれぞれにギリギリであるとすると

完成品は見た目は立派でも

中身は非常に不安定なものであるという

そういう認識が無いといけないと思います

 

 

もう何年も前になりますが、

姉歯ビルという話題がありました

私の記憶が確かなら、エライサンのコスト削減という無理難題を飲み込んで

法定上は最低限クリアをさせつつもコストを最大限に下げた建築物だったかと

 

あのビルはどうなったか

意外にもあの東日本大震災を経てもなお、ほとんどが倒壊しなかったそうなんです

もちろん補強工事をしたビルもあったでしょうが、金策的に無理だったところも当然あったわけで

そのほとんどが震度5前後でも大丈夫だったと

 

ある意味職人技の設計ではないかと私は思います

 

手抜きをするのであれば、

阪神淡路大震災で倒壊した高速道路のようにシャブコン製でも

地震が来なくてバレなかったら良かったわけですけども

この姉歯氏はそういう方法の誤魔化しではなくて

想定外の災害でも、最大限安全を意識したという意味では

たいしたものだと思います

おそらく数字の帳尻の間に合わせだけではなくて、

実際のバランスの想定も予測したうえで設計をしたのではないかと思います

 

残念ながら現在のモノつくりは、

小さい視野の個体の認識だけで

作っている本人も契約社員だったり派遣社員だったりの事情で

余計なことは知らなくて良しと

エンドユーザーがどういう使い方をするか判らないまま、

右から左へ言われるままに仕事をしている

そして数字さえ公差内に入ればいい

そんな場面が多いかもしれません

 

私はそれが敗因だと思うのですよね

私たちは知らないといけない

そして知らないことを知ってイメージしていかないといけない

 

たとえ蓋と筒を別々の場所で作っていたとしても

いざ合わせると

気持ちよく茶筒と蓋がスルスルとハマって

ぴったりと

そのイメージを皆で共有すること

 

 

AIにはできなくて

人間に出来ること

それはイメージすること

それが

唯一無二の

これからの未来を豊かにしていく

その追い風になっているのかもしれません

 

 

 

これね

本来はユニクロのエアリズムでクロップドペチコートが良かったのだけど

ロングスカートのインナーにもいいし、ワイドパンツのインナーにもいいし

着物の下着にもいいし、真夏の寝巻にもいい、とってもいいものだったのに

今は売ってないんです

で、これなら代替えにいいかなとちょっと考え中

ホンマに下着でいいかな~?

 

しかしはっきり言って、ユニクロさん

これは世界展開しても十分売れる品物なのに売らないって

どういう経営判断でそうなったのか、疑問です

ほかのメーカーも似たようなものを売り始めているけれど

やはりエアリズムというのが重要なようで

クロップドパンツは夏だけではなくてオールシーズン売れるものだと思います

アラブ圏内やイスラム圏内の女性なんかすごく喜ばれると思います

そういう意味で世界に売り出せるものなのに、なにを頓珍漢な売り方をしているのか~

他に先に越されたら終わりだぞ~