サスティナブルってなんだっけ?

今回もアメブロから~

なんかやり方がアメブロの方がやりやすいような気がします

 

今回は彦根城

これは隣接された庭から望んだ彦根城

私は結構お城が好きでして、機会があればなるべく訪れています

これも確か10年以上前にブログでも書いたけど

この時は彦根城築城400年記念の頃

ちょうど「ひこにゃん」がスマッシュヒットした頃です

 

当時はまだパロラマ写真を撮るような機材は持っていなかったので

旦那が手動でパロラマ写真するべく苦心して

なるべく高さを変えずに自ら回りながら写して

さらにそれを切り貼りしたものになります

 

 

 

自分のブログの貼り付けって結構面倒なんだな

最初の話だけはリブログ、あとはシンプルな貼り付けにしてみました

当時、いたく感動して大長編の四連作のブログで続いております

 

って

なんかここまで行きつくのに身も心もボロボロな感じ~PCとの闘い

一週間に一度は頑張ってPCを開けよう~ということで今回も頑張ってウイルス対策ソフトのアップデートと戦ったわけですが

アップデート終わったあとは無罪放免じゃないんかい?

なんですぐまたアップデートせなあかんねん???

カッチ~ンとまた戦う羽目になりました

そして再び、チョロメ(chrome)と戦う

なんや、インストールしなきゃいかんと

それからの、なんやウイルスに感染したとか通知が出て、なんかのウイルス対策のソフトを買えって

これがウイルスと違うんか?

ホンマのウイルスなら既存のウイルス対策ソフトはザルだし

噓ならばその変な広告をリセットしてもらわんと

 

とりあえずなんか怪しいやつは消せたっぽい、やれやれ~

 

にしてもですよ

今回2007年の八月あたりのブログを読んでいて

もう15年前?

この時の写真も、当然ながらスマホとかではなくてガラケーのカメラ機能とか

当時のデジタルカメラで写したものです

 

2005年に懸賞に出した時に当選したデジタルカメラ

元々我が家にはカメラはありませんでした

私も旦那も、基本的には自撮りにはまったく興味がなくて、観光地行っても記念撮影とかはしないタイプ

いいなと思う観光地や景色そのものは撮影はアリですが、自分がそこに収まるのは無しのタイプです

なので、普段からカメラはいらない

必要な時はインスタントカメラを都度に買って使うという方式だったんですが

ガラケーのカメラ機能を使いだしてから、カメラって悪くないかも?って思って

たまたまパズルゲームの懸賞に出したら当たったんです

それまではカメラがない生活でも特別不満はなかったんですが

デジタルカメラを使い始めてからはなんだか生活に重要な位置になりました

相変わらず自撮りはしないけど、景色や我が家のペットはたくさん撮りました

 

それがいまやスマホでカメラ機能がもれなくついています

昔では思いもよらなかった生活になりました

たまにおじいちゃんがスマホで草花をパチリとしている風景を見ると

実に心が豊かな時代になったなと

 

しかし

このITの波に現時点でなんとか乗れるのも、もしかしたら時間の問題かもしれません

実際、今Tセキュリティ対策がどうのといわれても

どうしていいのかわからず、既についていけてない自分がいます

 

昔、旦那の祖母の介護を少しだけしたことがあることもあって

認知症とまではいかずとも、

年を取ると、さまざまな理解が思う以上に困難になるのはそう特別なことではないんだなという感覚があります

スイッチを入れるだけの感覚、選ぶだけの感覚

そういう、若いころにはまったく大したことでもない普通のことができない、出来なくなっていく

それは年老いていなくても、例えばゆるい障がい者でもありえることです

 

日常的なことではゴミ出しでしょうか

市からゴミの分別についての小雑誌が配られていますが

現在の私ですら、これって燃えないゴミでいいのか?と悩むことが多々あります

ここ滋賀県大津市では、

燃えるゴミに関してはまあまあ怪しくても回収してくれますが

燃えないゴミに関しては厳しくて、少しでも違うものが入っていると回収されずに「回収できない」シールを貼られて残されてしまいます

その度にひっくり返してどれがダメだったのかネットで調べなおしたり

最終的には一種類ずつ袋に分けて出したりします

 

私ですら難しいと思うことが多いのに、これから年食ってボケたらおいそれと気軽にゴミを出すことすらできなくなってしまうかもと恐々とします

現実、介護をするべく旦那の祖母の家に入ったときはどうしていいのかわからないほどの分別できないゴミが山となっていました

なので、今現在、燃えるゴミ燃えないゴミの区分がわからなくて一緒くたになって

放置した結果ゴミ屋敷になってしまっていたりとかも多くあると思います

 

実際、町で違法に植込みとかに不法投棄されているゴミの中には

なぜかちゃんと市のゴミ袋に入っていたりするものもあります

もしかしたら少なくとも最初から不法投棄するつもりはなかったかもしれません

 

最近サスティナブルという言葉を多く聞くようになりました

みんなが持続可能な社会を~とか能書書いてあるけど

もしも年を取ってボケて、ゴミ出ししようとするときに

分別が完璧に出来なくて、ゴミを回収してくれなくて仕方なく持って帰って

結果、気が付いたら家がゴミ屋敷になっている…ありえると思います

それって本当にサスティナブルな世界だなんて言えるでしょうか?

 

学校教育などで落ちこぼれていく人達を放置していくような感覚

そして落ちこぼれた人が「腐ったみかん」とばかりに自棄になってガラスの窓を割っていた

そんな過去を彷彿とさせれるのは私だけでしょうか?

できないなら参加するな、家から出るな!と高らかにサスティナブル宣言しているような感覚に襲われているのは私だけでしょうか

 

ゴミ問題で話を続けますが、大型ゴミとかで出し方とか小雑誌には確かに説明はされていますけど、

そもそも大きいゴミは体力的には一人では出せないですよね

年取ったらなおさら

それと。直接ゴミセンターへというものもあるけど、もしも免許なかったら?

免許返納が推奨されていますけど?

誰ぞ子供とか体力的にも人数的にもお世話する人が当然いますよね?ってこと?

大型ゴミを捨てる際に、大きさとかも訊ねられるけど、そもそも目が見えなかったら?

あと、見えてたら聞こえてたりしても意味がわからない、認知症みたいな状態のときだってあります

必ずしも若い親族が面倒みているとは限らないのでは?

 

つまり、そういう不具合があっても皆んなが社会に参加して尚且つ持続可能な環境を作るということでは?

 

だとしたら、燃えないゴミに燃えるゴミが入っているから回収しない、というのは

上から目線で酷く横暴ではないかなと私は思うのです

 

とはいえ、分別収集そのものに不平を言っているわけでもないのです

そりゃあできるのであれば分別して利用価値があればリユースもやるに越したことはないんです

サスティナブルという看板を振りかざすのであれば、みんなで参加できる形にならんものか?というお話なんです

 

私のアイデアとしては、なんでも捨てられるゴミ袋を色を変えて、多少お高めで売ってみたらどうだろうかと

自信がなければそれに入れると必ず回収してくれて

持って行った先で分別してくれるという

その手間賃として一袋千円でもいいかと思うんですけど

不法投棄されたものを探して掃除する手間よりもグッと楽になるように思うのですが

いかがなものでしょう?