今回は久しぶりにアメーバから書いていきます
はてなブログでもほぼ同様の内容になります
これは琵琶湖疏水横にある三尾神社
通称ウサギ神社です
行ってみるとウサギだらけです
可愛い神社ですが、見かけとは違ってなかなかハードな歴史があります
何回も取壊しの危機を免れて残ってきたとか
来年はちょうど、うさぎ年ですし、
四月は卯月に御朱印帳を持っていくと
もれなくなんか卯月ということで特別な御朱印になるとか⇦結構うろ覚えの未確認情報なんで、ちゃんと調べるべし~
御詠歌でよく謡われている十四番、三井寺南院の鎮守社にあたりまして、すぐ近くにあります
御詠歌、ご存じではない方もいるでしょうね
いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖
三井寺といいますと、弁慶が引きずったとかいう鐘も有名ですが
それではなくて、めっちゃええ音として有名な方のこれ
なんかええ感じでは撮れなかったんですけども
この鐘の音が琵琶湖の湖までしっかり聞こえたのでしょう
たぶんエエ鐘なので、戦時中の金属類回収令のための穴とか開いていない鐘のはずですから、かなり特別な鐘ではないかと思います
私が19歳の頃、母が亡くなりまして
49日忌済むまで、毎晩六時にこの御詠歌をやらなくてはならず
鐘を木槌で叩きつつ、お茶の時間を挟んで約一時間くらいみんなでやらなければならないというキマリがありました
ちゃんとテープレコーダーでありまして、それに合わせてやるわけなんで
巻いてやるのもちょっと難しい感じ
時には近所の人もやってきますので、お客様対応もしなくてはならず
六時に在宅してないといけないというのは
単純にバイトが一切無理、金銭的にはほぼ終わっておりました
当時はまだ女性は10時以降働いてはいけないカテゴリーがありまして
大学も通学に二時間かけて行ったうえで、夕方六時には在宅しておかねばならないうえに
夜10時以降は働けない
なかなか難しいものがありました
妹は当時小学校六年生、中学お受験させる気満々で
家事は祖母が一手に引き受けてくれていましたが、
私自身は通学するためにはバイトしなきゃいけないのに、時間が作れず
大学をサボってバイトをするという本末転倒な事態になっておりました
その大学も望んで受かったわけではなくて、
高校側から受けるだけでいいから~のお願いを受け入れて受けた、なんの興味もない大学
分野も的外れ
本命も滑り止めもダダ滑りしたのに、大きく実力以上のなんの興味もない大学だけが受かった
なので、特にやりたいわけではないのに、物凄く追い詰められた学生生活でした
御詠歌歌いながら、なんでこんなにしんどいのやろと思っていました
弾けた大学生活と違うんか?やりたいこと寝食忘れてやりまくるのではなかったか?
楽しいことや面白いことやるんではなかったか?
私はいったいなんでここで鐘叩いているんやろ?
結局、大学は途中で辞めてしまいました
やりたくないことを生活追い詰められてまで頑張ってやる意味が分からなくなったんですよね
四年生までは行ったけど、その間、妹の中学生生活と並行しての時間で
人並みに思春期を迎えた妹に対して、どうすればいいのか
時々妹の同級生の若いお母さんと話したり
情報の共有が対等にできる相手もいなかったですから
今ならネットで繋がる人もいるかもしれませんね
一応は同級生とかに相談はするけど、まったく環境が違いますし
同級生は「妹に対してどうするか」という理解で聞こうとしますが
私は「本来親ならばどう対応するべきか」が聞きたいわけですよ
そういう生活に追い詰められた、もっと若い子供たちのことを
最近はヤングケアラーと言うそうですね
自分はやりたいこともできないし、彼氏とか作るとかもそんなどころではないし
友達ってなんだろうなとという意識もあるし
バイトもロクにできないし、お金もなし
みんな、キラッキラッしてるのに
大学の講義もなかなかいけないからついていけてないし
御詠歌を聴くとその頃の想いがフワッと沸いてくるのです
なんか暗~い話になってしまいました
でもその時代はその時代なりに、結構遊んでいたとは思いますよ
なにせおごってもらうのがセオリーのような時代でしたから
お酒だけはよく飲みました、あ、タバコも!
あの頃に戻りたいかと聞かれたら、
たとえ当時の若さが手に入るとしても絶対嫌ですけどね!
今が一番幸せだと思います
たとえあの頃よりもお肉が倍増して年食っても