その恋心の墓場

今回は

苗村神社になります

道沿いに立派な楼門が見えていて

通るたびにずっと気になっておりました

この楼門は重要文化財なんだそうで

 

 

裏はこんな感じ

本来は長寸神社という名称なんだそうです

由来は室町時代とか書いてありました

詳しい事は以下に色々貼り付けますので

正確な知識はこちらからどうぞ~

 

www.biwako-visitors.jp

こちらはwiki情報

 

ja.wikipedia.org

たぶん周辺情報など一番詳しそうなのが

竜王町が運営しているとみられるこちら

 

namurajinjya.ryuoh.org

 

私のふわっとした知識では流鏑馬が有名だと思います

かの信長様が馬具を奉納したとか

 

由緒ある神社ではありますが

読んで字のごとく

五穀豊穣がメインな感じの神社だそうで

掛け声が重要であるらしい

 

 

見えにくいとは思いますが

「雲生井戸掛大穂生惣礼諸興下露」

(うんしょういどかけおぼしょうそれもよかろう)

これは30余郷の氏子の安泰を祈る言葉が書かれています

 

そして本殿はこちら

国宝なんだそう

 

 

そしてこの神社は道を挟んで向かいにもあります

 

 

向かいの東本宮から見たらこんな感じ

 

 

同じ苗村神社ではありますが、西と東では様相が全く違います

西が日向だとすると東はうっそうとした森

道路では騒々しく大きなトラックなど往来してうるさいくらいですが

一歩東宮の神域に立ち入ると静寂さが一瞬で訪れます

 

 

6世紀くらいの古墳群があるそうです

藤原不比等とかそういう時代の偉い人のお墓かもしれません

そういえば三井寺近くにあった長等神社も

『長』が付いていてその漢字は高貴なものなんだそう

参道はこんな感じでそんなに距離はありません

 

昼間なので涼し気ですが、夜になったらたぶん怖そうな気がします

以下は古墳群らしき森

たぶん石がある場所が古墳の一つなんじゃないかな~

 

 

こちらが東本宮の本殿

 

 

たぶん参道は50Mくらいでたいした距離ではないはずで

すぐそばでは車がいっぱい往来して、人の気配はするはずなんですけども

鳥居をくぐったらそれだけで時を止めたみたいに静寂にあります

 

ふう~これだけで大変だった~

写真のアップがとても難しいです

先にアップする写真を選んでおかないと

どの写真がどんな画像なのかすっかり判らんように~

 

今回のネタは時事ネタになります

おそらくは多くの方は賛同しかねる意見になるのではないかと

広末涼子さんの不倫の話題

この報道があったとき、そりゃあいつかはそうなるよね~という印象でした

色んなブログでホロスコープ作成されていますので、

こちらではあえて掲載はしないですが

(画像貼り付けがもうシンドイという疑惑も(笑))

どちらのブログでも、『水の人』というキーワードが出てきます

その言葉を目にしたとき、別の女優さんを思い浮かべました

 

 

この方も緩い水の三角で、水の人といえるかも

本当かどうかは判りませんが、パンツを被る男の何が良かったのだろう?

とは思いますが、

恋をしてしまったら仕方がないのかも

 

若い頃は

不倫なんて、社会的制裁を間違いなく受けるだろうになぜするのだろう?

ならぬものはならぬと初めからわかるのに、なぜ?

と思っていましたが

今の年齢になって、わかる感じがあります

更年期に差し掛かると狂おしくも自分の『女性』性のタガが外れやすくなると

人によってそれが恋に走ったり、いわゆる更年期障害不定愁訴になったり

コスメに凝りだしたりもあるかも

買い物依存だったり、アルコールやギャンブルももしかしたらあるのかも

自分の中のホルモンのようなものが悪あがきをして

最後の一滴を絞り出すようにホルモンを出して

自分が『女性』であることを叫んでいる

そんな感じがします

 

所詮私たちは生物の一つであり、

その原始的な使命が子孫繁栄であること

それが遺伝子に深く刻み込まれている

だからこそ、なんとしてもホルモンがでているうちに生殖をしなければならない

そんなふうに焦りをもたされているのではないかと

なので、自分の意志であっても実は本意ではないかもしれない

 

昔、「ベティのマヨネーズ」に行ったことがあります

そこで、新しく性転換をしたニューハーフの綺麗な方の舞台をみました

手術して初めての舞台ということでまだまだ顔色は悪かったけれども

妖艶で精霊のような美しさで

なんか、なんの努力もなく女性で申し訳なく思いながら見ていたら

テーブルで付いていてくれた別のニューハーフのお姉さんが

「優しい彼氏が手術前から献身的に色々やってくれて、

今は彼女も彼にぞっこんだしお似合いの二人だけど」

と話始め、目を伏せて

「かわいそうに、性転換手術を受けるとどうしても、

その後がうまくいかなくなって別れる事が多いのよ」

ということを言ってました

どうも。手術を受けた彼女の方が心変わりしてしまうことが多いのだそうで

一緒になる約束をして、手術を受けたけれども

先がないような話しぶりでした

 

 

今回広末涼子さんの旦那さんの会見というのを見て

すごく広末涼子さんのことを大事に思っていて、離婚はしたくない

そんな気持ちが伝わってきたのですけども

聞いているうちに寂しく感じたのは

妻として、母として、大事な家族として、女優として

そんな広末涼子さんの思いがいっぱい詰まって褒めていたものの

悲しいかな、女性としての広末涼子さんはまったく触れなかった

メンタルの調子が悪くなると化粧が濃くなるとは言いましたが

あれだけの綺麗な方でも、

その方面での誉め言葉は存在しないんだ、旦那様にとっては

 

そういえば、斉藤由貴のスキャンダルが出る寸前

同世代として、美しすぎる容姿に驚きもしてましたし、

あの時代キラキラ輝いていたように思います

広末涼子さんも透明感のある美しさは磨きがかかり、

とてもアラフォーだとは見えませんでした

やはり恋は人を美しくするものなのだなと

 

しかし、どれほど美しくあっても

社会的には不倫は良くないもの

 

人によっては

推し活で恋心を昇華できる人もいますが

誰かのファンになる、その心の性質は自分の肯定感によると思います

自分のことを深く肯定できるからこそ、誰かのファンになれる

誰かのファンになっている自分が好きだし、

横展開でコミュニケーションを広げる、そんな自分が好きでないと

誰かの推し活は出来ないと思います

 

数年前に亡くなられた西村賢太さんは

藤澤清造氏に師事して、お墓を隣にしたりものすごく心酔しているけれど

それは作家としての確固たる自信があるからこそ

ではないかと

 

つまり、私生活において、この二人の女優さんはあれほどの美貌がありながらも

どこか自信のなさが付きまとって

きっと自分の夫に対しては選んだことを後悔はしていないけれど

狂おしく発動する、自分の恋心を持っていく先が無かったということではないかと

もっと平たくいえば、その恋心は更年期症状の一部ではないかと

 

このへんの思考が、賛同しかねる方が多いのではないかと危惧するのですけども

 

スタートレックの世界でバルカン人にはポンファーという発情期があります

感情の抑制そのものが人格といってもいい、そういう種族にとって

ポンファーという発情期は自己嫌悪や屈辱を感じる描写をされています

未来が舞台のドラマですので、配偶者やパートナーがいなければ

ホロデッキという架空空間で『スッキリ』してはりますが

現代にもそういうシステムがあれば、わざわざ不義理は起こさないのかも

いや、現実仮想空間のネットゲームなどで昇華させている人もいるかもしれませんね

 

実のところ、お相手の人格は関係ないのかもしれません

実際、パンツをかぶる男だったり、お手紙を周りに自慢しちゃったり

あんまりロクな男ではないニオイがプンプンします

ただ、恋がしたかった

残念ながら、諸事情で夫では成立しなかったということではないかと

 

だけどこの恋が更年期症状の幻であるならば

この恋はどこへいくのでしょうか

思春期の恋ならば、初恋でも失恋でもそれなりに社会的にも受け入れられて

失敗だったとしても成長するなにかが残ったりしますよね

更年期の恋はいったいどこが終着点なんでしょうね

マディソン郡の橋のようになかったこととして終わるのもそれはそれで素敵だけど

成就しないことのほうが多いでしょうし

女優さんならば美しさゆえに成就はするでしょうが

もしかしたら夢から覚めて罪悪感だの自己嫌悪だの屈辱に苛まれたり?

本来ならば生み出してはいけない更年期の恋心

それはいったいどこへもっていけばいいのでしょう

 

墓の中まで持ってかねばいけないその心

その恋心

その終焉が

なんだかこの頃すごく切なく感じるのです

 

 

恋は生きる糧なのでしょうね

でも恋はシンドイと感じるのはもうホルモンがガス欠だからなのでしょう

 

優しさの資質、強さの意味

本日は、金神社になります

とはいえ、この神社は金運アップなどの『金』ではございません

ちょっと趣旨が違う

 

金運招福というならこちら

京都の御金神社

 

 

 

確か、今年の正月

八坂さんからブラブラと神泉苑へ向かっていた時だったか

もしくはその後に通りかかったような記憶が~定かではないけども

とにかく街中でなんだかすごい行列を見つけて

いったいあれは何だろうと検索したらば

御金神社と

やはりお参りしたら宝くじとか当たるとかいうものでしょうか?

なんか正月から生々しい欲を見た感じが~

もちろん私も、そりゃあ宝くじの〇が一杯あるやつに当たりたいものですけども~

 

ちなみに神泉苑はこちら

 

www.shinsenen.org

こちらは牧歌的ですごく雰囲気も良くて存分に楽しませてくれます

 

 

ああ!

いきなり話が脱線している!

今回は、滋賀県にある『金神社』なんですって!

 

こちらはお金の『金』ではなくて『金大明神』の『金』

明治の神仏分離の機会に名前が変わったようです

またしてもHPなどもなくて

御祭神は金山毘古神

どうやら金属や鉱山などを司る神様なんだそうで

なぜか一番詳しそうなHPを探したらこのようなHPが

www.toyoseikico.co.jp

 

 

やはりモノつくりという側面からブログに書かれたものでしょうか?

なかなかビシッと説明してくれるところがあまり見当たりません

 

色々探してみましたが、公的なHPとしましては近所の

 

 

この中の金森御坊の説明が精いっぱいのところ
関係なくは無いような気はしますが、やはり別物かな~

 

かの昔

道西というお坊さんがおりまして

本願寺派蓮如上人の高弟に当たります

宗教上のゴタゴタがあってその蓮如上人が避難してきたのが善立寺という所で

上記のサイトによりますと蓮如上人の遺宝が保存されているそうな

 

 

 

 

この金森という町は元々は寺内町

この地で史上初の一向一揆、金森合戦が起こりました

その後

その関連なのかはわかりませんが、後にこの地に信長様の楽市楽座が置かれます

私は信長の楽市楽座って安土の城下町にしかないと思っていましたが

この金森以前に美濃国の加納にもあったそうです

安土はともかく、なぜ金森の地に楽市楽座が作られたか、

それはまだ明確ではないようです

 

image

 

 

とりあえず水が湧き出る地域です
地味ではありますがちゃんと守る会などもあります
ビオトープという活動をしているみたいです
以下は金神社のお隣の湧水公園
お子さんがいらしたら、散策にはうってつけの場所だと思います
 

 

 
たぶんこの水飲んでもいいのかなと、私はちょっと飲んでみたけど
少なくともおなかは痛くならんかった
本来なら水質調査の紙がどこかにあるはずなんで、それを確かめるべきなんですけどね
 
もうちょっと案内しとこう
もうすぐ蛍も注目のシーズンです
image
 
ふう

ここまででまずは写真との戦いと、記憶の戦い(笑)

行った記憶はあってもいつだったか思い出せず、どこに写真があるのかも怪しく~

さらにはパソコンとの戦い

今回は、PC上でiPodの画像をある程度まとめて移動することと

番号をつけての保存するお勉強はできたけれども

そのデータは写真が重すぎるみたいで結局PCからは使えず

iPodからの下書き入力で写真を載せるというアナログ手法

とりあえずの目標は

写真にお絵描きしたり切ったり貼ったりカスタマイズできるスキルを身につけたいと

 

 

さて~いつもならばここで本題なんですが

ここでちょっと趣向を変えて、このブログの成り立ちについて

 

元はヤフーブログから始まったのですが、

ぼんやり放置しているうちに突然閉鎖すると聞いて

泡を食らって慌ててアメーバブログに移植しました

 

元々は閲覧目的のアカウントではあったんですけども

一日を争う慌ただしさで、日記をとにかく残すのを重視しました

それからもしばらくは閲覧使用のみで利用していたんですが

このところ、ふと、はてなブログでちょこちょこ書き出し

そこから日記の記録としての保存目的で

ほぼ同じ内容をアメーバブログにもコラボさせております

何にしろあのヤフーブログの苦い記憶がありまして

また突然閉鎖というのが~

 

突然のことだったので誰にもお知らせすることもできなかったのですが

ただただ自分のために日記を残しておきたくて

一応、私が生きているうちは

『私が』読み返す『思い出作り』のために利用しております

 

で、最近のブログの成り立ちなんですが

ヤフーブログ時代はまさに日記媒体なんですけども

アメーバ及びはてなブログは、

ほぼ趣味と大喜利の遊びを入れております

 

前説は滋賀の名所を紹介する~というネタ

そのネタを大喜利で別の話にすり替える遊び

そして写真の練習

さらに適当知識ではありますが

好きな歴史ネタや占いネタ時事ネタも入れております

雰囲気としては社会科の先生の脱線話を意識しております

ですので、タイミングとしてはブレイク

大半はここらで脱落してもらってもまあいいかというつもりです

後半はまさに自分が言いたいだけの話

ターボエンジン吹かせてただしゃべりたいことになります

自分的には三段仕込みと呼んでおります

 

しかし

これをリアルでやっちまうと周りが引きます

あるいは周りが赤べこみたいに頷いているだけ~というサブい状況になります

 

これがブログならそこは気にしないで好きなように呟けますから~

そんなわけで、やたらボリュームがありますが、

適度に好きなとこまででお気楽に目を滑らせていただければと

 

 

で~歴史に話を戻しまして~

学校では、信長様が比叡山焼き討ちにした、と今でも教えられていると思います

でも、ここで先生がはっきり言わないこと、あるいはあまり知らないことがあります

この時代のお坊さんは、結構なヤカラだったという事実

 

近年のお坊さんと言えばベンツに乗ってたり

案外優雅な暮らしをしているイメージでしょうが

本来のお坊さんというと、

欲を捨てて静謐で粗食で厳格なる規律の中で修行しているイメージ

 

でも昔のお坊さんの本当の姿というと、

弁慶みたいな僧兵をイメージするほうがしっくりします

そして、互いの教義を譲らず争いが絶えなかった~のを

おまいら~けんか、やめ~い!って感じで

信長様が外から水をぶっかけた~いや、火をつけたんやな

特にその聞き分けがないものに対して徹底的に焼き討ちをしたんですね

 

私は『平和』だとか『戦争反対』とか~

ちょっとエエ感じの言葉を多用する団体は恐ろしいと思います

ましてやその責任の矛先を勝手に神に委ねて

聖戦なんて恐ろしいことだと思います

 

されど人間というものはやはり弱いもので

平時であっても、宝くじ当たらんかな~と神様に祈ったりするし

辛い時こそ信心の先が無いと生きて行きにくいものだと思います

そういう意味では宗教というのは重要な役割はあるのでしょう

 

その考えで、信長様が神になろうとしたとされるならば

本当に懐が深いと言えるかも

相当深い優しさがある

なんなら、いわれのない逆怨みも全部引き受けたる~責任持つで~

という覚悟あってのことでしょう

 

あの有名な比叡山焼き討ちは、その後の日本人の宗教観を変えました

宗教上の争いは信長様の焼き討ちで根絶させられ

結果的に、政教分離という効果がありました

それを狙ったものかどうかは判りませんが、

その方が世の中を動かしやすいとは考えたことでしょう

 

ゆえに、

日本の宗教観は、他宗教に対して他の国ほど排他的ではない感性があります

最終的にキリスト教を禁じたのも外圧を回避するための政治的な理由で

実は宗教観についてそこまでは弾圧はしていなかったと思われます

一番懸念していたのは、宗教を糸口に他国から植民地にされること

聖戦という名のテロを内側から起こされて

属国にされるのを避けるのが一番の目的だったでしょう

 

金森という土地

あまり位置的に意味が判らないとされているのにもかかわらず

この地に楽市楽座が作られたのも

元々寺内町という流れと、一向一揆があったきっかけ

宗教色よりも資本主義の力を大きくしてバランスを変える目的と

さらには豊富な水があるという鉄鋼関連での利便性

すなわち鉄砲関連製造を考えたものではないかと

私は思います

あくまでここは自論です←ここ重要(笑)

 

 

現代において平和を語るうえで、

何かと武器を持つとか防衛に関して反対する団体はいますが

まず第一に『強さ』と『力』がないと平和には出来ない

少なくともかの昔、信長様は考えたのだと思います

 

個人的な人間関係においても同じことが言えます

「何を言っても大丈夫、あいつは『優しい』からな」

と思われているうちは、周りからの皺寄せをまともに受けるでしょうし

人よりも苦労をしなければならない事になります

 

「あいつは『ヤバい』間違ったら殺される~」

と思われるような人だとある程度の火の粉は避けられるでしょう

 

少なくともそこまで『ヤバい』人でなくても、

周りから怖いとか強いとか思われるのが大切なんですね

 

人に優しくあるためには一定の『強さ』が必要なのです

 

それが国であるならば、なおさら圧倒的な強さが求められる

そういう意味で防衛費はちゃんと運用されるべきだと私は思います

 

もしかしたら

力で制する時代はもう終わったのかもしれませんが

それに代わる何かがちゃんと機能するまでは力は保持するべきでしょう

 

 

そう意味だとしたら

凄い人だよな~

ポップな曲調だけど

 

ちなみに~

この歌の早口は言えません~

この時代の音楽で既にどれもこれも音も高けりゃ早口だし~

 

なんで最近の音楽はどれもこれも音はだんだん高くなって

どんどん一杯言葉が増えていくねん~!

さらに踊りまでややこしく

何のチャレンジをしているんだか

ついていけないのは昭和のオバハンやからか~?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光り輝く晴れの日と閉ざされし雪の日

 

今回は豊国神社

以前行った時は記録的な凄い大雪の日で、

それこそただただ雪まみれになっただけで、なんにも出来なかったのですけども

一年の時を経てやっと恨みを晴らしました

 

 

 

 

 

今回はちゃんとHPがありました

かの御太閤様、豊臣秀吉公の長浜城からもすぐ近くにあります

とはいえ、その長浜城は近年再建されたニセモノなのですけども

いや、ニセモノと言うたら失礼やな

リメイクというんかな?

長浜は他にも色々観るところがいっぱいあって

駅前の長浜城は帰りにちょっと立ち寄ろうと

何度も言っては結局は眺めるだけの未踏の地なんです

 

 

実のところ

かの本能寺の変は、宗教が絡んでいるのではないかと思います

キリスト教がもたらされたのはこの時代ですが

ただ単にキリスト教を広めるためにはるばる来たのではなくて

やはりそこには色んな思惑と手違いと見込み違いがあります

 

もちろん当初は多少の利益を目論んだ布教活動だったわけですが

当時はまずからしてすぐに移動できるものではなくて

遠路をはるばる移動している間に

スペインによるポルトガル併合が途中で起きたという手違いがあります

日本に着いたはいいが、

ポルトガルの支援で世界布教に乗り出していたイエスズ会、

青天の霹靂でタニマチを失い、突然梯子を外されるという憂き目に

これをうまく立ち回るには、新たにスペインと関係を結ぶ必要があります

それで、日本って明国征服事業には重要な国ですから~という

後付けで売り込んだというわけです

日本にしても、ポルトガルが事実上崩壊していようと、

南蛮貿易によって硝石やら鉛やら鉄砲の大事な軍事物資は欲しいですから

でもスペイン側としては、平和裏に貿易とか、ましてや布教活動は二の次で

明国征服事業がメインなわけで

おそらく明国征服の軍勢を日本から調達するのを目論んでいたのではないか

 

このへんの知識はこの本の受け売りでございます

もうどこでこの流れを読んだっけ?という記憶の掘り起こしも無茶苦茶大変でした

 

 

無事思い出せてよかった

 

で、続けましょう

 

平和裏な貿易、ちょっと強欲に征服事業、とか

あるいは支配下に置いて銀山のシルバーラッシュ搾取する

というならまだかわいいものですが

実際は、野放図に人を国に連れて行って奴隷にするだとか

そういうようなことも断りもなくやりはじめていた側面もあったようで

 

はじめは利害を考慮して都合よく足並みを揃えていた信長様も

『なんでスペインの明国征服事業のためにこっちが血みどろにならんといかんねん!』

とばかりに、スペインの要求を蹴った

たぶん、スペインのライバル、イギリスやオランダの断交という要求もあったでしょうが、

それって日本側には全然得な部分がないですから

そんな利益と不利益のバランスが傾いたのをきっかけに

いきなり外交上の梯子を色々外したようで

 

あと、仏教徒もこの頃は武闘派ですから、寺も焼き討ちにされたし

天皇サイドもどうも不満があったようで

そのへんの敵の敵は味方なりと、秘密裏に談合があったのではないかと

なので、明智光秀に白羽の矢が立ったんですね

明智光秀と言いますと、あのキリスト教徒の細川ガラシャの父

たぶんつながりはあったんじゃないかな~

明智光秀はたぶんそのまま天下を取るのではなくて

天皇サイドとイエスズ会の思惑通り、

あらかじめ用意されたシナリオ通り天下の収拾をつけるべく

もしかしたらいったん天下を天皇に返上するつもりだったのではないかと

 

その流れを豊臣秀吉は実は知っていて、助けられるはずの信長様を見殺しにして

かつ、明智光秀をめっさ速く討ち取り、自ら天下を取ったわけで

 

その内情を家康様は知っていて

表向きは敬っていたけど、実は許さなかったのではないかと

 

だから徳川忠、家ときまして~

からの春日局

明智光秀重臣斎藤利蔵の娘~

 

謎はまるっと解けた!

 

単に私の自説です、悪しからず~

 

 

本当は~今回春分の日

占いとしては春分の日を迎えた瞬間を

その一年を占うホロスコープ作成するわけなんですが~

今年の自分の運勢を出そうと、

ちまちまハーフサムを出して自分のホロスコープに充てていっていたんですが

全部終了した時点で、これが東京図のままでやっていたのに気が付いて燃え尽きた~

 

本来ならば現在住んでいる所か出生地で出すべきなのに~

まぁ、東京図で言うならば、

ちょうど岸田さんがウクライナへ出発した時間くらいかも~と思うと胸熱ですね

あの瞬間はWBCで日本が沸いていたので、こっそり活動するにはお誂え向きだったのではないかと

まさに12室、秘密のお部屋じゃありませんか

 

ちょっと話題が逸れますが

たいてい、こういう野球だとかスポーツとかで沸いているときに、

秘密裏にいろんなことが暗躍しているんですよ

なので、ニュースのトップに長々とスポーツが飾られている時は

華やかなスポーツニュースを隠れ蓑に

政治的に何かあるとか、経済のなにかしらがある、という見方をしてもいいと思います

 

その野球の優勝もおめでとう~ですね

岸田さんも見てないとは言うてはったけど

私はスポーツ全体にあまり興味がないので、ニュースなどで見たり

職場での昼休みのテレビでボーっと見ていてふと感じたことがあります

最近のスポーツ選手、イケメンとか綺麗な人増えたな~って

 

そういえば

先日、出遅れたマイナンバーカードを作ろうと

まずは写真のために顔の調子を良くしようと、コルギというのを初体験してきました

頭も軽くなったし、顔も軽くなった

肩もスッキリしてなかなか具合がよい

で、その施術前施術後の写真をみてビックリですよ

まあ、仕込みかと思うほどのビフォーアフターでドン引きしました

アフターは普段私が認識している顔

ビフォーが、もうやばいくらいのブサイクで!

こんな顔であちこち世の中往来していたのかと!

 

まず目が同じように開いてないんですよ

昔女性の犯罪者で拘留中にブラで自死した人に似ているなと思い出しました

 

確かにこの時は頭痛も酷かったし、疲れていたし、

その疲れがダイレクトに響くとああいう顔になるんやな

というか、きっとあの犯罪者は自死前に心底疲れていたのは間違いないんやろな~

確かに私も毎晩歯軋りのせいでバキバキだったし、

よもや、そのコリが顔に響いているって、なお恐ろしい!

またコルギ受けよう~

 

で、

スポーツに話を戻しますと

WBCでいいのかな、野球すごく楽しそうにしているな~って思っていました

すごく楽しくしていても緊張感がみなぎり実力を出して優勝している

これはすごく現代をトレースしているなと

 

かつて昭和の時代の巨人の星のように

血の汗流せも涙を拭くなも、根性も水飲むなも、どこまでもうさぎ跳びとかも

そんな世界はもうありません

 

昭和の時代の頑張り方は歯を食いしばって頑張るやり方

我慢根性こそが正義の世界

現代は、合理的に体を無理なく動かせる手段を見つけたり、

フィジカルを意識して、体調を無理なく整えて調整していくやり方

だからこそ、顔立ちも無理なく整えられて行っている

だからこそ無駄に我慢したり歯を食いしばることがなくて美しい

 

これからの時代はこういう事なんだな~と

 

なんや占いの世界でみずがめ座の時代だとか色々話はありますが

きっと新しい時代の頑張り方が変化していくのでしょうね

そこにはストイックな汗はあるかもしれませんが、涙はもうありません

あるのは、目指す先の溢れんばかりの歓喜なのでしょう



興味と期待と願望の矛先

今回は龍光山雲住寺と勢多橋龍王宮秀郷社がメイン

まあ言うたら「瀬田の唐橋」と言ってもいいかもしれません

守備範囲としては雲住寺の範囲らしいですし

 

 

後ろの唐茶色の橋が唐橋の欄干

近江八景の一つで、唐橋ナメからの夕陽の図『勢多夕照』というのがありますが、

写真で撮ったら普通に逆行ですよね~

あれは実際に目にしての良い景色だと思います

写真よりは絵が最適かもしれません

 




otera.jodo.or.jp

 

相応しいwebを探したらここしかなくて

一応中味を引用抜粋

 

近江八景・瀬田の夕照で知られ、日本三大名橋の一つでもある瀬田の唐橋は欄干の美しい橋だ。都への要衡としてたびたび歴史の舞台に登場するこの橋の東詰めに、雲住寺はある
雲住寺が開かれたのは応永15年(1408)。初めは天台宗だったが、16世紀中頃に浄土宗となっている。
山門を入ると正面に本堂、そしてその左手に「百足(むかで)供養堂」と書かれた小さな六角堂が目にとまる。実はこれ、寺を開いた時の城主・蒲生高秀から逆上ること14代前の藤原秀郷(俵藤太=たわらとうた)により退治されたむかでの供養堂なのだ。
醍醐天皇の時代、俵藤太は勇名をとどろかした武将だった。あるとき勢多(瀬田)の橋に大蛇が出て往来をさまたげた。狩りの途中、橋を通った秀郷はこれをものともせずにその背中を渡って行く。すると突然、翁が秀郷の前に現れ、「私は橋の下にすむ龍神です。三上山を七巻半もする大むかでが出て、苦しめられています。ぜひ退治していただきたい」と言った。さて、秀郷は三本の矢を用意し、むかで退治に出た。二本の矢は次々に跳ね返された。そこで三本目には自分の唾をつけ、キリリと射ると、矢はついに眉間に突き刺さり、むかでは退治された。
蒲生高秀はこの地に寺を建立したわけで、以来、寺は瀬田の唐橋の守り寺となっている。寺にはむかで退治の縁起を刻んだ版木、また藤太ゆかりの太刀の鍔(つば)や、蕪矢(かぶらや)、鎗鉾先。また近江八景の版木などが残されている。
寺は多彩な行事で1年中、にぎわっている。定例の各年中法要は檀信徒の世話方、尼講、婦人会、年行司が中心となり盛大に。また、婦人会行事や詠唱、子供むけの第二土曜日のサタデースクールやガールスカウト。成人には仏教公開セミナーなどが開かれ、まさにお寺は心の拠り所として開放されている。
【交通】JR東海道線石山駅から草津行きバスで橋本下車。
(浄土宗新聞 平成8年3月号より)

 

そんなわけでお寺の中にはこんなものが

 

 

百足供養塔って!

まあ湿気が多いところでは百足が出やすいみたいですし

そりゃあ日本一の水ガメがすぐそこなんですから

他の地域よりも百足とかは出やすいでしょうね

ついでに虫もちゃんと供養されています

まあ~春と秋の風物詩で数週間ほどではありますが

毎年一円玉大の『びわこむし』も一杯発生しますし~

別に悪いこともしないのに凄く殺生されているから~

 

よくある形式として神社もコラボしてます

こちらが勢多橋龍王宮秀郷社

 

 

そして

以前に記事にしていた「急がば回れ」の瀬田の長橋というのがこの唐橋

 

 

下の方に並んでいるのは竹灯籠

なんや、最近増えすぎた竹の伐採などでのリデュースというやつらしい

竹って伸びるスピードが速いから

竹山持っている人が

「はよ、筍掘りにきて~もうあかん~」というSOSで

祖父に連れられていった記憶があります

七夕にはいくらでも竹持っていき~って

小さい一本でいいのにデカい一本用意されていたし

 

 

なかなかの絶景ですが、

こちらからは大百足が巻き付いたという三上山はたぶん見えていません

おそらくこの写真に向かって右のほうにあるのではないかと

でも今の時代は建物があるのできっと見えないのではないかな~?

 

 

こちらに大百足を嫌がった龍の化身のお姫様がいらっしゃいます

 

てか~龍というたら、

めちゃくちゃ強い全知全能の万能の神様みたいなもんで

怖いものなんて何もないと思われるのに

いくらデカすぎるとはいえ百足が怖いって!

お姫様だからそりゃ怖いでしょうが、

そこはやっぱり龍というからには

ちょっと火みたいなものをゴゴ~っと口から吐いたり

龍神というなら水を放水するとか

なんかをちょちょ~いとすれば、

なんでも一瞬で解決するようなイメージなんだけど

いくら神様とはいえ苦手なものもあるということなんでしょうか?

 

ふわっとした記憶なんですが

虫などに対する生理的嫌悪というのが、

いまひとつしっかり原因がはっきりしないそうなんです

 

だけど、そういう嫌いなものに対する話題というか、

喋るボキャブラリーって意外と豊富なんですよね

なんで嫌いかという根本はよく理解できてないのに

どれだけどのように嫌いなのか~意外と盛り上がる話題です

怪談話みたいにスリルがあるからでしょうか?

 

それと~

よくある話では、

小さい頃は虫が平気だったのに大人になってから苦手になる

そのへんはある程度理屈がついているようです

不衛生であるとかの知識が身についたとか

あの『G』なんかは典型ですよね

 

あと

田舎では虫がいても普通の風景だけど

街中で同じ虫を見たら途端に嫌悪感が涌いてくるようです

意識としては、

そこにあってはいけないと感じて違和感があるのでしょう

 

 

でも不思議なことがもうひとつ

嫌いな虫的な話や苦手な動物などは、やたらすごく語れるのに

好きなものに関しては意外とそこまでは語れない

 

なんとなくいい、かっこいい、歌がうまい、背が高い

なんとなく好き、髪の毛が長い、スタイルがいい、賢い、優しい

感じがいい、面白い、洗練されている、おしゃれ、物知り

綺麗である、ご飯がうまい、いい車に乗ってる

エエ匂いがする、走るのが速い、仕事ができる

好きなものを語ろうにも、

案外ボキャブラリーが底ついてしまいます

しかも嫌なものを語るほど具体的ではなくて、ふわっとしています

あれはいったいなぜなのでしょう?

 

例えば

美味しいものに関しては正解がある程度見えているので

エセ料理評論家とかエセソムリエみたいな口調になるでしょうが

なんとか言葉は繋げられる

 

でも自分だけが好きなものって

物の説明は出来ても、どう好きなのか何故好きなのか

好きであるのは間違いないけれど、言葉にならない

 

 

これをいったん

人を好きになるというパターンにシフトしてみると

もっとその人のことを知りたいというところに行きつきます

背の高さはいくつだとか、

誕生日はいつかとか好きな食べ物は?とか

 

ですので、

『好き』というのは知りたい何かを隠し持っているように思うのかも

 

見方を変えて

とある人が嫌いというパターンで考えてみる

 

ちょっと話題がそれますが

よくある間違い

『好き』の反対は『嫌い』ではないんですよね

『好き』の反対は『無関心』です

いやよいやよもすきのうち~ってこれはちょっと違うか

 

で~

話は戻りまして

とある人を嫌うというのは

おそらく、なんらかの期待を大きく裏切っているのではないかと

夫婦仲の問題でもよくありますが

お互い好き同士であったからこそ、

期待することが多くあって

それが残念ながら叶わなかったという、そこが問題点だったりします

 

それは親に対しても同様に

自分が思ったようにしてくれないという方面だと思います

 

たぶん「嫌いだ」と言いつつも、

そこには深い深い『願い』が込められているのです

 

ちゃんと自分と向き合ってくれるのをすごく期待をしているのです

 

 

まあ言うたらあの『G』だって

少なくともいきなり顔に向かって飛んでこなければもう少し冷静でいられるかも

悪い方面に予想外のことをされると『嫌い』になるのかも

 

もう少し話を広げまして、ファン心理にも突っ込みたいなと

 

実は私は青春期にテレビとはほぼ無縁だったのもあって、

アイドル関係のファンとか、アニメのキャラにハマった事がありません

スポーツ観戦も興味ないです

 

これもテレビのふわっとした聞きかじりですけども

自分に対してしっかりとした肯定感があると

誰かのファンになりやすいものなんだそうです

『推し』のファンである自分が好きなんですね

だからこそ、ファンのコミュニティで活動出来たりもする

きっと自分の『好き』を客観視もできるのかもしれない

 

長くとあるスポーツチームのファンだった方が、ある日突然

「もういいかなって思って~」とファンをやめていたのをみました

つまり、興味がなくなった、もう知りたいと思わなくなったということなんでしょう

 

まああれですよね

夫婦仲でいう倦怠期と似たものかも~

もうなんも期待しない

お互いキレている時がまだ救いがあるというか(笑)

 

そういえば、話題の犯罪者に接見するうちに魅入られて結婚したという話も聞きます

あれは~やっぱり謎めいているのが魅力なんでしょうか

もっともっと知りたい、その心が恋に成長させたのでしょうか?

 

 

昔話になりますが

実家で喫茶店を営んでいたころ

とあるお客さんが部下を連れてきたことがあります

とても精悍で清潔感があり、男っぷりも良かったのですが

店主である亡母が異様に気味悪がり、

なんかあったん?と首を出して見てみた私もなんか

なんか冷や水を背中にかけられたような

とにかく嫌な感じがしたのを覚えています

 

彼はその後二回くらい来店しました

彼は

勝田清孝

近畿で有名になったかの連続殺人犯

 

今でもあの感触は忘れられません

亡母も私もなにかしらの違和感を感じ取ったのかもしれません

 

 

確か、10代の頃、ものすごく好きだったんですよね

今は忘れていたけど

昔は何に期待して何を願っていたのでしょうか

 

 

距離感の再構築

今回は、桜が終わったら見に行ける三大神社

 

 

この神社のHPは無いうえにウィキペディアもまだ加筆を必要としている状況なんで

滋賀観光情報をペタリと

 


www.biwako-visitors.jp

 

 

とはいえ、このサイトの中でもまず検索しなきゃいけないので

紹介されている部分を抜き出してみました

 

JR草津駅の北約3.5km、条里集落の遺構地吉田の中心にあります。祭神は志那津彦命(しなつひこのみこと)、志那津姫命(しなつひめのみこと)です。
 本殿の傍らにある高さ2m、六角柱の石燈龍は鎌倉時代の石造美術を代表するもので、正応四年の刻銘があり、国指定の重要文化財になっています。
 この神社は、毎年4月下旬から5月上旬にかけて、穂が地面に擦るほど長くなることから「砂擦りの藤」と呼ばれる見事な古藤が開花することで知られ、毎年近畿一円からも多くの見学者が訪れます。
 また、近隣の志那神社(草津市志那町)と惣社神社(草津市志那町)にも境内に藤があることから、三大神社とあわせて志那三郷の藤とも呼ばれています。
<重文>六角柱の石燈龍

ここまで引用

 

普段は駐車場がないのですけども藤棚の季節になると、

ボランティアみたいな感じで付近の空き地を駐車場に急ごしらえで整備して

すごく丁寧に案内してくれますが、本来は駐車場はありません

ちなみに私は草津駅からゆっくり歩きました

牧歌的でなかなか気持ちが良かったです

道のりも主にサイクリングロードなので、車の危険もあまりないと思います

 

 

それはそれは見事です

この時期だけは200円を払いますが、これも急ごしらえの料金場所

藤の花が開花する4月下旬から5月上旬のみ協力金として200円必要。

というわけでして、ボランティアの藤棚の会の方々が頑張っていらっしゃいます

当然おつりはありませんので、ちゃんと小銭は用意しておいたほうがいいと思います

 

付近も色々あるので散策もいいかもしれません

でも歩きだとちょっと無理があるかも

自転車ならサクサク回れそうです

 

 

 

 

ちゃんと見えるかな?

くまんばちがもう藤棚に夢中でめちゃくちゃかわいいです

蜂は蜂でも人間にはまったく危なくありません

名前は熊だけど、くまんばちはかわいい

なんかモフモフのマフラーしてるし~

見ていて癒されます

怖いのはスズメの方なんで~

スズメバチはもっと大きくて狂暴な顔だけど

くまんばちはそこそこ大きいけど全然違う

つぶらな瞳でかわいいんです

 

 

後でしっかり読もうと保存しておいたけど、聖徳太子やら蘇我氏が出てきてる

奈良時代からのお話なんかな~

なんや藤原鎌足の墓は、ちゃんと飛鳥にあったんだけど

天武天皇が鶴の一声で

藤原鎌足の子孫がうまく栄えるようにの祈願で

墓近くの倉橋山に生えてた藤を持ってきて

この三大神社で藤原家をお祀りすることになって

そのお祀り記念で植樹したらしいけど

信長様の時代にいっぺん燃えてしもうたのを

焼け残った苗から大事に育て上げたということらしい

ってことで合っているかな~?

 

一応石碑は写してあるので、ちゃんと読める誰かが正しく読んでいただけると嬉しいかも

 

 

 

最近少しずつ暖かくなってきたので、ハクキンカイロはもう無しにして

使い捨てカイロでも身軽でいいかもしれませんが

使い捨てというのが気になるようならサステナブルなこの商品!

暑くなったらすぐオフにもできて、さらに充電池代わりにもなる便利なこいつ

暖かさは連続二時間程度しか持たないですが、朝晩行き帰り程度なら保てるでしょう

なんなら現地とか職場で充電待機しておけばさらに問題ないし

スマホの充電もちゃんと満タンにもできます

 

 

これからマスク解禁なんだそうで!

でも社内ではGW明けまではマスクなんだそうですけども

普通のお店とかは外していてもOK

な感じになっていくのでしょうね

 

正直マスクは息苦しかったし、うれしいですよね

これでやっと楽に鼻が啜れるってもんだ

 

とはいえ

私は外では基本ノーマスク主義でしたし、

コロナ前から冬場はインフル予防で混雑した電車内ではなるべくマスクとかしてたし

職場では工場系のオイルミストもあるので

以前から仕事から帰ったら手洗いはもちろん

ウガイに鼻ウガイ、ついでに顔も洗う

という流れで

仕事ではなくて、プライベートな外出でも

日焼け止めにファンデを使うと鼻炎が出て鼻水が出てくるため

鼻炎薬を飲んだうえで化粧して

帰ったらすぐに化粧も落とすけど、

そうなると顔も手も洗うし、そのうえで鼻ウガイもすることになるので

そこも同じで変わることはそんなになかったりする

 

遊びに行くのもほとんどが一人行動か旦那同行

友人とどこかへ行くとかも数えるほどでしたし、

コロナになったからと言って特別我慢したことはまったくなくて

詰まるところ

コロナ以前もコロナ禍でもアフターコロナもあまり変化がありません

 

でも気になっているのは~交流

ソーシャルディスタンスが私にとってすごく快適すぎて!

 

職場でご飯を食べるのも一人で食べるのが快適なので~

別に以前同じテーブルを囲んでいた人とまた囲むのも

それはそれで楽しいこともあるからいいんですが

それよりも今はとにかく一人が本当に気楽すぎて!

もしかしたら人との付き合い方が下手になっているかも?

どうしようかな~ってちょっと心配です

 

 

さようならの思い出作り

今回は太郎坊宮

正式名称は阿賀神社になります

しかし本来元々の名称が、太郎坊宮

古くは天台宗の成願寺とともに神仏習合でお寺と神社が一緒くたなかんじでしたが

明治の神仏分離の改革で名称が形式的に変更

阿賀神社という名称になりましたが、元の通称の方が知られているようです

 

 

 

www.tarobo.sakura.ne.jp

 

とはいえ、結構登るのが大変だったためか、充電切れでもしたのか、肝心の中の写真をあまり撮影してなくて

とにかくはまず階段が多いのが有名です

800段近くあるそうですが、体感として立木観音のほうがしんどかったかな

 

www.tachikikannon.or.jp

まずは修行の入口から

 

近江鉄道太郎坊宮前からも全貌が見えます

山全体がご神体なんだそうです

 

 

写真を撮るのを忘れていましたが、一番の見どころである夫婦岩

大きな石に挟まれた狭い通り道がありまして

良い行いをしていたなら通れるけど

悪いヤツが通ろうとしたならば即座に石に挟まれてしまうという

真実の口のような判定が下される道のりがありました

私は無事通れたようですので、きっと悪いことはしていなかったのかも(笑)

 

なんや天狗がドウノコウノということで駅にも天狗の額縁がありましたが

どうやら京都の愛宕山にいる天狗は弟の次郎坊なんだそうで

 

いわゆる勝ち運の神様のような立ち位置のようです

そのせいなのか、ゼロ戦のプロペラが奉納されておりました

なぜなのか、ちょっと調べてみたけどよくわかりません

 

天狗というと自慢満々なこととか比喩で示しますよね

ロレックスだのGショックだの、車だの

鞄だ装飾品だの、いわゆるドヤ顔で自慢する物がありますが~

私自身は物そのものでドヤ顔するネタはありません

いや、中身で勝負というわけではありませんが

 

昔、亡父が車好きであれこれと替えていたりとかのなんか複雑な思い出もありまして

なんかお値段が高いものをドヤというのが好きではないというか

自分で言うにしてもなんだか嫌な気分になるわけでして

どちらかというとお値段が高い自慢よりも

関西風にどれだけ安かったかの方が楽しい感じ

 

とはいえ、何でもかんでも安いものがいいというわけでもなくて

お値段が高いものを購入するときももちろんあります

ただ、消え物であることが多いです

 

占いもそうですけども、マッサージとか

映画鑑賞、旅、食事やお酒もその範囲

形に残るものもありますが、最近では書籍もキンドルに移行してきましたし

このほど、琵琶湖ホールのサポート会員にもなりました

もしもお金があったらピアノも習い直したいなとも

 

幼い頃から、物は無くなるという意識がありました

なので、失うことがない何かを欲しておりました

ある意味貪欲ではないかと思います

 

しかしこの年になってきて

自分の記憶が消滅するという可能性について考えるようになりました

自分の脳味噌から記憶が消えていくという可能性

知識としては認知症などあるとは幼い頃から判っていたものの

感覚としては、

自分が自分であることの絶対性を揺るぎないものとして考えておりました

 

しかし身近で認知症の方をみると

その揺るぎない自己の意思すら風前の灯で

否応なしに覆されていく

そこから死後の世界を時折具体的に考えるようになりました

 

 

死後の世界ってそれこそ死んでみないとわからないでしょうが

私が考えるに

夢のような感じではないかと

永遠に覚めない夢

 

やがてくるかもしれない宇宙への旅

近未来でぎりぎり見聞きできそうな範囲では火星がありますが

今のところの計算では最短で260日ほどくらいはかかるそうです

その間の飲食や生活行動に関する全体の消費を考えた場合

なるべくその消費を抑えるためには

いっそのこと寝たらどうだろうという案があります

仮死状態で寝ている状態で旅をするという

わりと現実的な想定があるそうですけども

その場合のリスクの一つに『悪夢』というのがあるそうです

覚めない夢で悪夢は最悪でしょう

その最悪の覚めない夢が

もしも死出への旅ならば、それは本当の地獄だと思います

 

 

そういうことで推理するならば

本当の悪人が地獄に堕ちるというのは意外と無いのかもしれません

本当の悪人って自分が悪人だとかあまり思っていないケースがありますし

刑法などで悪人という判決が出るから、

おそらくは自分は悪人なんだろうなと察しはついているでしょうが

心の中ではちっとも悪いとは思っちゃいないわけです

 

もしかしたら心の中のどこかで呵責を感じているとか

大罪に纏わる因果応報的な危険などを想定しているならば

きっと悪夢は見るでしょうが

自ら本当にその罪を認識してないと牙は向かないのです

ですので、地獄というのは、

その大罪に対しての認識を改めて、償ってからが刃が己に向かう

これが地獄の始まりなのかもしれません

そして生きている限りはその罪を認識し、地獄に滞在しているわけです

死んでもなお罪を思うのならば、やはりそこは地獄なのかもしれません

 

一方、現世が辛くて自ら命を絶つという方もおられます

その選択そのものは個々の判断だということで深く可否は問えません

しかし、現世が辛くてという意図があったならば

もしかしたらその先は地獄かもしれません

醒めない悪夢の幕があがるのかもしれない

そういうことで成仏出来る出来ないの違いがあるのかもなと思います

自ら作り出す悪夢に苛まれるのかもしれない

 

 

先日、職場でのほぼ同年代の同期の方が亡くなられました

元から心臓が悪くて、生死五分五分の手術を迷っていると聞きました

もしかしたらこの先技術や発見が進んでもっと良い手段があるかもしれない

でも手術の体力を考えると還暦前でリスクとしてはギリギリのライン

かといって、この先さらに病が悪化して、

介護を負わせるような家族に負担はかけたくない

 

その話を聞いた私は

人はいつかは絶対死ぬ

みんなあの世へは必ず行くことは間違いがない

大体一般的に死ぬケースは、

たいてい想定外の瞬間に突然あの世に行くのだから

突然の具合によっては「今じゃない!待ってくれ!」

ということだってあるだろうし

メリットデメリットで考えれば

手術であかんかったとしても

その場合は予め色々覚悟とか準備も整っているだろうし

同じ手術でも祈願でもなんでも、体を作ったり

納得できるように色々準備だってできるし

それこそいつでもいいと言われているなら

そのタイミングだって自由に決められるのは結構大きいよね

もちろん手術しないという選択もあるけど、

後悔しない選択は~

やっぱりどう生きたいかじゃないかな~

 

そんな会話が彼女との最期でした

 

まさかそんなすぐに決意して勝負をつけるとは!

私はもしかしたらすごく余計なことを言ったのかもしれない

 

だけど

ナイスファイト

きっと胸を張って旅立たれたことでしょう

優しく凛々しい方でした

 

私は罪を犯したと思うのです

私はきっと余計なことを言った

正直父の死も悼んでなどいない

かつての母の死ですら病院がなくなるという部分でホッとしていた

その罪を手にしながらきっとあの世へ行く旅に出ることでしょう

 

太郎坊宮の石の隙間で

真実の口のようになんらかの審判が下ってぺっちゃんこになったとしても

きっと経験した素敵な思い出は

最期の一瞬でひとときの幸せを揺り起こしてくれるのではないかと

 

死んですべてが無くなったとしても

それでも

きっと楽しかった思い出など

どこかの記憶の切れ端に刻みこまれるのではないかと

そこに期待して

色んな景色見たり、音楽を聴いたり、

現在セッセと生前の思い出作りに勤しんでいるわけです

 

 

 

面倒という名の悪魔

今回は、ダイヤモンド富士ならぬ

さしずめ、パール富士なのかな?

琵琶湖から見た近江富士の三上山と矢橋帰帆島と満月

 

ここで三上山がある野洲市のリンクを

www.yasu-kankou.com

 

 

矢橋は、急がば回れの語源である

もののふの矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋

という語源の中の『矢橋』がそれにあたります

現在では、矢橋帰帆島公園があります

園内はアウトドアなファミリー層にも人気のスポットになっておりますが

無料で庭園などがあったりして子供だけの空間ではなく

まったり散策にも最適な牧歌的な雰囲気

 

hikari-g.com

 

 

対岸には、にょきっと異質に突出しているビル、プリンスホテルが見えますが、

冒頭の三上山と満月の写真は

おそらくプリンスホテルの左側あたりの位置から

撮影したんじゃないかな~

 

 

なお~語源にある『長橋』は唐橋のこと

この写真のもっとずっと左に見えないところにあります

約3㎞ほど離れているかな

完全に瀬田川に入っております

そして、肝心の矢橋の船の本来の場所は

長年の地形の変化などで、現在では湖から離れてしまって

びっくりするような普通の住宅地の中に突然あります

 

 

この辺が当時の船着き場だと思われる場所

矢橋公園という文字が、この住宅地のど真ん中の裏庭な感じを和らげてくれています

 

でも思いっきり他人の家の敷地内の畑かなんかで写真を撮っている罪悪感があって

入る時もなんか裏庭に入るような後ろめたさが~

本当に『矢橋公園』と書いてくれているのがせめての救いです

 

 

石塔のようなものもありますが、これだけでは安心してこの敷地内には入りにくいかと

 

 

先週も先々週も書こうと思っていたネタはあったのですが、

撮っていた写真を探すのに手間取って(PC重たい問題)

これからはある程度写真を整理していかねばなりません

そもそも、いつどこへ行ったのかも怪しくなってきました(笑)

 

冒頭の急がば回れの語源では

慌てて無理に矢橋の船に乗らずに安全に唐橋まで迂回した方が無難やで~

という感じですが、当時の矢橋の船はそんなに危険でもなかったようです

実際に実験もやってみたというネット記事もありましたし

かの明智光秀の家臣、明智左馬之助の湖水渡りもしているし~

別にそこまで危険でもないと思う

 

ま、矢橋から唐橋へは私の足でも一日もあれば普通に移動できる距離なので

船というからにはお金も必要でしょうから、お財布的にも唐橋まわりが無難かな~?

 

よく『近道行動』とか言われます

ちょっと先まで行けばちゃんと横断歩道があるのに、

そのまま道路を横断して交通事故とかにも巻き込まれたりの事故もよくききます

結構お年寄りが多いのですが

それはきっと若い頃からそうやってきたということなんだろうと私は思います

それまでは、ヒヤリとした瞬間はあっても若さもあって難を逃れてきたにすぎず

多少の運動能力が落ちたところで思うように体がついてこられずに

とうとう取り返しのつかない事故になったのだろうと

 

ここには面倒くさいという悪魔がいるんですね

 

面倒くさいという悪魔は安全だけではなくて、マメさにおいても応用されます

 

本当は~医療費控除とかしたら多少のお金は戻ってくるととは思うんだけど

どうしても面倒で、そのうち~そのうち~と言ってたらもうこんな時期で

たぶんこれもお国の作戦なんだろうと

面倒だから節税対策しなかった自己責任だと~

モウエエネン

貧乏に対してもマメに立ち働けば解決の糸口が見えそうですし

運動や勉学においてもマメに反復練習が重要ですし

ものづくりにおいても初期の段階からの丁寧な作りこみが重要

それと~やはりマメな男もよくモテますし

現代においては

ブログなどのSNSにおいてもマメに地道にやっていくのが利益になるらしいですし

 

やはり面倒は心の悪魔なんですね

 

とはいえど、悪魔も元は天使

面倒と思う心をうまく工夫すると便利になって良い効果もあるし

 

でも医療費控除~面倒くさいんだよな~たぶん今年もやらないような気がする

五年寝かせられるというのが罠なんだよな~

 

とりあえず~この先必ず年老いるのを受け入れて

今から面倒がらずに横断歩道まで移動する癖だけはつけておこうと思います

 

これ結構便利なんですよ

ずり下がる肩紐ってすごく面倒で~

でもこれがあれば痛くなくてしっかりずり落ちない!

でもたぶん夏場は蒸れるだろうけど、このずり落ちないという快適さは重要!