紡いで結んで繋いで歩んで

本日は、道の駅、鏡の里すぐ近くの星ヶ崎城跡

古墳跡でもあるらしいです

 

 

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鎌倉の13人でのクライマックス、1221年承久三年、承久の変にて

後鳥羽上皇側についたがために途絶えてしまった鏡氏の城跡だそうですが、

いまだにwikiのデータベースも未記入で

しっかりとした裏付けが色々と不明なままなのでしょう

これから何かが判ってくるかもしれない謎めいた地です

 

 

 

すぐ近くの向かいには、道の駅の名称の元である鏡神社

かの源義経元服の地

どうもここで自分で勝手にセルフ元服をしたそうですけども

この時代はまだ鏡氏が存在していたはずで、すぐ向かいだし

かの大男の弁慶がいて目立たなかった筈もないので

何らかの形で交流があったかもしれません

 

どちらの名所も公的なwebサイトが見当たらないので

道の駅を貼り付けておこうかと

www.kagaminosato.com

 

 

ぴかーっとしてますが、こちらに義経さんが祭られているそうな

おそらくは実在していたとみられる最古の天皇応神天皇とともに祭られております

 

去年の大河ドラマでは、パットン将軍をイメージして義経が描かれているそうです

確かに菅田将暉さんが演じる義経像は、

取っ散らかった天才気質、もとい不器用で狂気じみた義経がうまく描かれていると思います

ドラマの中で

「私は戦しか出来ぬ」と悲しく笑うように語るシーンはグッとくるものがありました

 

パットン将軍にしても義経にしても、おそらく

自分の卓越した能力が独自の異才であることを認めたうえで、

反面、多くの者が常識として普通になんなくこなせることが

自分には不適、苦手、出来ない事なのは意識できていたのではないかと思います

だからこそ出来る戦においては手を抜くことはきっとなかったでしょう

 

まさしくそれしかできることがないから

 

 

 

「なんで出来ないんや!」

とか、糾弾するシーンは日常でよく見かけます

実際に私自身がよく言われたものです

てか、

何故出来ないのか、

自分でそれが分ったならとっくに出来てるがな~と心の中でよく毒づいておりました

なんでうまくいかないのかわからんからずっと出来んのや!

そのくせ、なんで出来るのか尋ねても答えられる場面は少ないんですよね

やったらできる

なんかやったらできた

何回もしたらできる

練習したらできる

努力したらできる

根性あったらできる

そんなもん、出来るか!

 

とはいえ、やり方が判ったら確かに出来ることもあるのは事実で

されど、努力しなくても出来てしまうサイドには、やり方を教えられる人はいない

苦労してコツを掴めた、そんな人だけがその秘法を伝えられる術があるのです

 

子育てなどしている人の中には、

我が子がかつての自分と同じように出来なかったり苦手だったりするのを発見することがあるかもしれません

 

ゲッ!私と同じオンチやん!

アカン!この子も私と一緒で不器用や!

あ~あ、やっぱしボヤっとしちゃうんやな

なんでトロいだけが似てるねん!

 

ここで

 

うん、参加することに意味があるんや!

とか

無理しなくていいから~健康が一番や!

これはここだけ、大変だけど頑張ろうね、お母さんも手伝うから~

ここは口パクにしとき!

とにかくなんでもいいから動いたらアカン

よお頑張ったエライ!

 

心の中で、私の遺伝やん~ゴメン!スマン!と詫びながら

何とか無難な形に持っていくべく奔走している親御さんもきっとおられるかと思います

 

その場合親が出来なかった経験があるからこそ伝えられる利点があるのですね

そして、実はやり方は代々昔から引き継がれた『秘伝の術』がある

悲しいかな苦手なものってまあまあ引き継がれるんですね

その事柄が多くあれば、長い道のりではありますが

少しずつ子孫に受け継がれていろんなことが精錬されていくのかも

中には引き継がれていなくても一代二代前ならば身に覚えがある人もいるわけで

そうやって『秘伝の術』は繋いでいく

 

私の場合は毛色が違うタイプだったので、

こと運動能力に関しては解決方法が見出せませんでした

まず走るのが苦手、リズム感が無い、飛んだり跳ねたりも苦手

小学生の頃はそれだけで破滅的でした

そして、とにかく数字や記号に弱いのと、耳コピ―というのが苦手

そして、ノートの板書が苦手でした

 

私の場合、数字の226と266の区別などが付きにくい性質があります

今では数字を覚える必要があると、

お金の小銭に換算して脳裏に置くということで辻褄を合わせております

ですので英語の単語なんかはすごく苦労しました

最終的には意味を持たせて覚えるという面倒なことをしておりました

耳コピーなども苦手な分野で、

日本語として聞こえるというだけで何を言っているのか判らなくなるという

で、聞き直すとたいていは

大声でだんだん早口になるだけなんですよね

聞こえないのではなくて聞き取れない、理解まで追いつかないんです

ノートをとるのも、授業聞きながらノートをとるのが難しい

判らないならメモを取れというけれど、

わからないものが判らないからメモする部分が判らないわけです

 

ただ読むとなると、多少の誤字脱字は気にせずに読めますし

言葉が不自由だったり、日本語を理解されない方の言いたいことは分かったりはします

細かい名称とかは一向に覚えられませんが、

何が起こったかどうするかの記憶は思い出すだけで解決するので

実験などの問いは問題ありませんし、

本に書いてあることについても内容を思い出すだけなので

 

でも検閲校正なんかはまったく歯が立ちません

だって、私の眼にはまったく問題がないように見えているのですから

問題がないものから問題を探すのって難しい

形が違うものを探すのならばまだ問題はない

 

そして運動能力も結局のところ

足が靴の中で滑っていたので、おそらく人の二倍近く走っていたかもしれません

 

ここ数年前から使い始めて歩くのが少し早くなった気がします

たぶんリズム感が無いのはどうしたとしてもリズム感が無いので

まがいもなく運動音痴ではあるでしょうし

スポーツそのものも楽しめる土壌がもともとないけれど

 

現代はいろんなことが判明してきました

昔ならば努力不足だとバッサリ切り捨てられたものが

今では特性ということで虐げられることがなくなってきたのではないかと

 

今まで不得手だったものが現代これからに紡がれていく

それはパットン将軍や義経も平凡な幸せを生きていける世の中になる

そんな夢に繋がっていく

それはもう夢ではないのかもしれません